1981年8月4日(火)
-くもりのち雨-
ユースホステルの朝は早い。朝食がすんだら、7時過ぎにはもうホステラーたちは、それぞれの目的地に向かって散っていく。僕は、きょうは懐かしの我が家まで走ればそれでいいので、そう慌てて出発する必要はないのだけれども、ひとり8時9時まで寝ているわけにもいかないので、みんなのペースに合わす。
「お世話になりました」
と挨拶をして、8時15分にユースホステルを出た。
国道まで降りたとき、一緒にユースホステルに泊まっていたホステラーのひとりが、僕の自転車を見て興味深げに寄ってきた。
旅行者:「うわぁ、変わった自転車ですね」
豆壱郎:「オーダーメイドなんですよ。こういうタイプの自転車をミニベロっていうんですが、今、けっこう流行っててね」
旅行者:「へえ、そうなんですか。面白そうだな、コレ」
豆壱郎:「ちょっと乗ってみますか?」
旅行者:「え?いいんですか。じゃちょっと失礼して…」
豆壱郎:「ハンドルがフラフラしますから気をつけて」
旅行者:「うわっ!ほんとだ。こりゃ軽すぎる!」
初めて乗った人は、まずまともに乗ることができない。
緊急事態発生!
豆壱郎、野性に返る?
彼と別れた後、一路、東へ向かった。三加茂を過ぎたあたりからだろうか、急に僕のからだに異変を感じ始めた。異変と言っても、心配はいらない。病気などではなく、誰にでもある生理的なアレである。小さいほうは、僕は男だからどこでだって何とかなる。しかし、今は大きいほうなのだ。さすがに、うこはどこででも、というわけにはいかないだろう。といって、周りを見渡してみても、喫茶店や大衆食堂も見あたらないし、民家もないし、公衆便所なんかもないし、まさか、道端でお尻をめくるわけにもいかない。我慢してしばらく走ってみたものの、ヤバイ! せっぱつまってきた。うこがもれそう!! 道路の右側はすぐ山肌。左側はガードレールのすぐ左が吉野川の川岸で、河原まで10メートル以上の高さがある。だんだんペダルを回す足に、力が入らなくなってきた。いや、正確に言うと、力を入れるとうこが出そうでヤバイのだ。なんか、ハンドルさばきもヘロヘロになっている。意識がもうろうとしてきた。もうだめ! と、思ったとき、道路の左側に、河原のほうに降りていける道があるのを発見! ヘロヘロのハンドルを無理やり左に切って、坂を下りていく。待て待て。セメントの急坂だ。路面はかなりボコボコしている。振動を与えてはいけないぞ。お尻を浮かして膝のクッションをうまく使うんだ。そうそう。よ~し、無事降りたぞ。ティッシュを忘れるな! 足の長い草むらを探すんだ。ここでいいかな? 上の道路からはちゃんと死角になるな。よし!
・・・ (ネット上で不適当と思われる表現のため、ここからの克明な描写は自粛いたします)
・・・・・・・・・・ やってしまった! ついに野を…。
きたない話になってしまって申し訳ないが、現実にはこういったどうしようもないケースがあるのだ。出発前の机の上では、こんな苦労をすることなど頭の片隅にもなかった。
すっきりしたところで、再び上の国道に戻り、まるで何事もなかったかのように(笑)平然とペダルを踏み始めた。
鴨島付近から、とうとう雨がパラつきはじめた。小雨ではあるが徐々に強くなってくる。今思えば、三加茂付近で先程のエピソードの真っ最中に降らなくてよかったと思う。カッパを着るのが面倒なので、そのまま走る。濡れたところでどうせきょうの泊まりは我が家。もうすぐ着くのだ。
午後1時。10日ぶりの我が家に到着。すでに僕の身体はずぶ濡れになっていた。出迎えてくれた家族の元気そうな顔を見ると安心した。
自己反省会。ここまでの問題点と、これからの行動についてじっくり考える。
さて、家に帰って一息ついたところで、ここまでの日本縦断の大反省をしてみる。思えば数々の失敗をしているのだ。ひとつひとつ分析する。
- そもそも自転車にミニベロを選んだことが大失敗。
- ミニベロで一日130キロ走れると思っていたことが大失敗。
- 荷物が多すぎたことが大失敗。
- その荷物を自転車に取り付けず、全部背中に背負ったことが大失敗。
- 日本の夏の暑さを過小評価しすぎていたことが大失敗。
このほかにも小失敗は無数にあるだろう。(例えばトイレはどこにでもあると思っていたことが小失敗?)さて、僕の日本縦断はここで終わりではない。宗谷岬まで走りきるためにしなければならないことは?
豆壱郎のちょっと一言
九州を走っていた頃は、毎日のように「もう日本縦断なんてやめた!あしたには自転車をたたんで家に帰るぞ!」と、あれだけ思っていたのに、いざ自宅に到着したら、もうすっかりそんなことなど忘れてしまい、宗谷岬まで走るつもりでいる。1.と2.の大失敗について、解決策は…やはり、ミニベロを諦めるほかないだろう。じつは2、3日前から考えていたことなのだ。このままミニベロで縦断を続けるのはムリである。もちろん、時間さえかければ何とかなるかもしれない。ミニベロではせいぜい1日に70キロ程度しか走れないので、その距離でもう一度計画を立て直す方法もある。しかし、そうなると日数もかかるしお金もかかる。会社には1ヶ月の予定で休暇をもらっているのに、それも延長しなければならない。他の社員に迷惑がかかる。期間が延びることによって、体力や気力をどこまで維持できるか、それも自信がない。いろんなことを考えると、ミニベロでの日本縦断は、どう考えても無理がある。ここで打ち切るべきであるという結論を出さざるを得ない。
僕は、断腸の思いでミニベロをここに捨て、かわりにロードレーサーを、これからの旅のパートナーとして選んだ。
全都道府県走破の夢は破れた。ミニベロでの日本縦断も実現しなかった。でも、日本縦断そのものをリタイヤすることは、どうしてもできない。日本の先っぽを目指して、僕は走り出したのだ。ここでやめたら、僕は一生中途半端のまま、何事においても最後までやり遂げる自信が持てないだろう。ミニベロを置いていくことについては、身を切られる思いだが、目的達成のためにはやむを得ない。
そうと決まれば、素早く頭を切り替えて、ロードレーサーでの旅の準備をしなければならない。まず荷物。3.と4.の大失敗の反省だ。あの大きな荷物は相当問題がある。いくら人間工学に基づいて作られたパックフレームであるとはいえ、あくまで山歩きを目的として設計されたものである。したがって、直立した姿勢でこそその効力を発揮するものであって、自転車のように前傾姿勢ではかえってマイナスになるばかりである。メリットは背中にバッグが密着しないということぐらいだ。ただでさえ、背中に荷物を背負ってのツーリングは、激しく体力を消耗するといわれている。(日本縦断大計画のページ・パックフレームの項目参照)出発前に、「荷物を背中に背負うのは苦しいので、やめたほうがいいのでは?」と、ご忠告を頂いたりしたこともあった。にもかかわらず、聞く耳持たなかった。僕が悪いのである。その通りでした。大反省。
ロードレーサーは、文字通りレース用の自転車であるから、荷物を載せるためのシステムは一切ない。あえて取り付けるとしたら、サドルバッグか、またはフロントバッグだろう。サドルバッグは、サドルの後ろにバッグループがあればそこにバッグを吊し、これをサポートするためのキャリヤを、シートピラーに取り付ける。ちょうど、バッグを下から抱えるような形になる。このキャリヤを、サイクルショップ・Nさん(ミニベロの製作にあたり、ずいぶんお世話になった自転車ショップ)の所まで車で買いに行った。そして、すべての事情を説明した。
サイクルショップ・Nさん:「そうか、やっぱりミニベロでは無理だったか。しかし、よくここまで帰ってこられたなあ」
せっかく無理を言ってミニベロを作ってもらったのに(しかも2回も)、完走することができなくて申し訳ないと思った。