自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

番外編 富士スバルライン⑥

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1983年
リベンジ。

昨年、富士五合目に失敗し、帰りに痛い思いをした豆壱郎は、このまま人生を終わらせたら、やり残した悔いのため成仏できないかもしれないと思った。そこで一年後、再び富士山に向かってリベンジの旅へと出発することになった。

今回は、少し作戦を変更して真夏の登坂を避け、やや涼しくなりつつある秋口にアタックをかけることにする。ふむふむ。少しは成長しているようだ(笑)。それも、また何日も会社を休んで迷惑をかけてはならないと、会社の慰安旅行の日に日程を合わせ、豆壱郎は単独で富士山に出かけることにした。

1983年9月23日

1年前と同じように、徳島をスバルレックス号で出発。阪神高速~名神高速~東名高速を経由して、富士山麓へ。順調順調。ふふふ…。
今回は、昨年とは別のホテルに宿泊。

1983年9月24日

朝、目が覚めて青くなった。
しまったー!!なんてこった!雨が降っている。僕は雨具を用意していなかったのだ。雨のことなど頭の片隅にもなかった。うう、またしても予想外の展開。

雨が降っているからといって、富士登坂を断念して帰るわけにはいかない。ご近所から散歩に来ているんじゃないんだ。幸い、大降りではないので、カッパをどこかで買って気合いで走ることにする。

河口湖町の街でカッパを買い、富士ビジターセンターの駐車場で車を止めた。ここまでは昨年と同じだ。今年こそ五合目まで走りきらなくてはならない。今回は季節も秋だし、雨まで降っているし、暑さでダウンすることはなさそうだ。
僕は、自転車を組み立てたのち、カッパを着て料金所に向かった。

すると、僕の他に1台のロードレーサーが料金所にやって来た。身長は185センチはあろうかという長身でヤセ型。見るからに速そうである。
豆壱郎:「こんにちは。これからこのスバルラインを登るんですか?どこから来られました?」
と訊いてみた。
長身の男:「京都からです。あなたも登らはるんですね」
彼は、カッパを着ていず、すでに全身びしょ濡れで、ガタガタ震えている。
豆壱郎:「寒いんじゃないですか?めっちゃ震えてますやん」
長身の男:「ええ。けど走り出したら温まるでしょう。自分は遅いから先に行きますね」
と言って、スーッと走り出した。では、こちらも出発しよう…と、後を追った。
後を追う…
…え?
後を追うつもりだったが…
豆壱郎:「は、速い!」
なにが、自分は遅いから先に行く…やねん!思いっきし速いやんけー!!
彼の背中は見る見る小さくなり、あっという間に僕の視界から消えた。当初の予定通り、寂しい単独走行が始まった。

カッパを着てロードを走らせるというのは、非常に走りにくいもんだが、雨に濡れながら走るのもイヤなので我慢する。それでも、昨年と違って暑さにまいってしまうようなことはなく、わりと快調である。昨年の断念箇所、1合目半は難なく過ぎた。

しばらくは快調に走っていたが、さすがに距離が長い。昨年も気がついたように、僕はだらだらとした長い坂道が大ッ嫌いなのだ。だったら登るな!と言われそうだが、イヤだと言いながらもやめようとしないのは、根本的にやはり坂中毒なのかも知れない。とはいえ、徐々につらくなってくる。だんだんハンドルがあっち向きこっち向きしてきた。え~~ん!やっぱり苦しいよう!

後ろから車が追い抜きざまに、
「がんばってー!」
と、窓から顔を出して声をかけてくれる。精一杯の笑顔で応え、止まりそうだったペダルもしばらくはまた勢いがついてくる。

ここでまた僕に危機が訪れる。ハンガーノックだ!そういえば、朝食を食べていなかった。何やってるんだ!一昨年の日本縦断の時に、ハラペコ状態ではペダルが踏めないのはイヤというほどわかっていたはずなのに。(ホンマに学習ということを知らんやつ!)

4合目を越えた辺りで、雲の上に出た。ここまでは雲の中を走っていたので、辺りは真っ白で視界が悪かったが、ついに富士山頂上が右斜め上に見えた。駐車場にポツンと屋台の車のようなものが見えたので、吸い寄せられるように道を離れた。
豆壱郎:「おじさん、カップラーメンちょうだい!お湯あるの?」
屋台のおじさん:「あるよ。ほれ!」
豆壱郎:「あのね、背の高い自転車野郎見なかった?」
屋台のおじさん:「ああ、見たよ。ここであんたと同じようにラーメン食っていったよ」
豆壱郎:「え゛??…そ、その人どのぐらい前にここに来たの?」
屋台のおじさん:「そうだなあ、30分ぐらい前かな?」
ガックリ。そんなに差がついていたのか。もう、時間なんてどうでもいい。どっちみちこんなところでラーメン休憩してんだから。

眼下に広がる雲海。といっても、これは雨雲だ。今、僕は雨雲の上にいる。そして上を見ると、爽快な青空に向かって堂々とした姿を見せる富士山。さあ、あともう少しだ。少しだけだがハラもふくれたことだし、最後の力を振り絞ってペダルを踏み出そう!

そこからは傾斜が緩くなり、あっという間に五合目にたどり着いた。例の長身のロードレーサーが待ってくれていた。
「なんか食べようか?」
ふたりで食堂に入り、やっとまともな物を食べることができた。五合目が晴れているとは思わなかったので、カメラを持ってきていない。証拠写真も撮ることができず、しかたなく網膜に焼き付け、下界へと降りることにした。

登りもメチャクチャ速かった彼だが、下りもさらに速く、濡れた路面をまったく気にする様子もなく飛ばしまくっていた。僕はこんなところで滑って転んではたまらん…と、ゆっくり降りることにする。といっても下りは下り。4合目から下はガスの中なので、寒くてたまらない。ガタガタ震えながら降りていく。カッパを着ている僕でもこんなに寒くて震えているのだから、さっきの長身のロードレーサーは途中で凍死していないだろうか?

さすがに30kmの下りはそう簡単に下界には降りさせてもらえなかった。ブレーキを握る手もだんだん痺れてくるし、ずっと力を入れているので前腕が痛かった。

やっとの思いでビジターセンター前の料金所まで降りてくると、長身のロードレーサーが待っていた。待ってもらってばかりだ。(笑)

豆壱郎:「これからどうすんの?」
長身のロードレーサー:「三島まで走って、そこから新幹線で帰ろうかと…」
豆壱郎:「じゃあ、三島まで乗せて行ってあげるよ。自転車もバラしたら2台分ぐらい乗ると思うから」
長身のロードレーサー:「ありがとう。じゃあそうするわ」
ふたりの自転車をバラし、スバルレックス号のハッチバックを開け、後ろの座席を倒して乗せた。

スバルレックス号は、2年越しでようやく完走できた富士山をあとにして、南へと向かった。

「広い日本 そんなにゆっくり どこへ行く。」
は、これでおしまいです。
ご愛読ありがとうございました。
ご感想などいただけますと、著者は大変うれしいです。よろしくお願いいたします。

 

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