1981年8月12日(水)
-くもりのち雨-
午前6時30分、ユースホステルの早い朝が始まる。
食事を済ませ、荷物を自転車に取り付けていると、キャリヤーがますますひどくなっているのに気がついた。バッグがタイヤに触っている。このままでは走ることはできない。とりあえずベルトを巻いて、できる限り上に引っぱり上げた。バッグがタイヤから離れればしばらくもつだろう。
勝沼市に入って急な登り坂を走った。道の横には、いたるところにブドウ園があった。ぷ~んと、ブドウの匂いが漂っていた。時間に余裕さえあれば立ち寄って、ちょいといただきたいところだが、残念がら僕はグルメの旅をしているのではない。ここまで、どれほどおいしそうなもの、どれほどきれいな景色を背中に回してきたことか。いつかリベンジをせずにはいられない。
当初の予定では、勝沼には行かずに、静岡県の御殿場市に抜けるはずだったが、これも全都道府県走破をしてこそ意味のあるコース。つまり、静岡県を通過するためだけに計画したコースなのだ。今となってはただの遠回りでしかないので、この部分は省略して、大月から東京へ向かうことにした。
(当時の写真ではありません)
笹子トンネルまで来た。全長3キロもある悪名高いトンネルだ。長くて狭くて交通量は多くて、排気ガスが充満している。トンネルが好きなサイクリストはいないだろうと思うが、僕としては、太陽から逃れられて涼しく気持ちの良いトンネルもあるので、一概に嫌いとも言えない。でも、この笹子トンネルは怖い。思いっきりペダルを踏んで、この恐怖の筒の中から素早く脱出した。(ちなみに、僕が通った国道20号線のこのトンネルは、「新笹子隧道」であり、「新」が付いていない昔の「笹子隧道」は、県道212号線(いわゆる旧道)の笹子峠の頂上付近にあるトンネルのことを指す。さらに、JR中央本線、中央自動車道など、この山をくり抜いて長いトンネルが複数掘られている。2012年には中央自動車道上り線で天井板落下事故が起き、多くの死傷者が出た)
トンネルを出たあとは、久しぶりに爽快な下り坂を満喫した。大月市も通り過ぎ、相模湖畔で昼食にした。レストランでトンカツ定食を注文。最近、少しずつ食生活が変化してきた。以前の僕は、ピラフ、カレー、どんぶり、ラーメン、そば、うどんなどの単品で満足していた。しかし、だんだんその程度では足りなくなり、メニューを見ても、つい「○○定食」と名のついたものを注文してしまう。体力の消費に、カロリーの補給がついていってないということか。
相模湖
(当時の写真ではありません)
べつに慌てて食べなくてもいいのに、トンカツを食べているとき、自分で自分の口の中を噛んでしまった。結構グサッとやってしまったので、舌で触ると、かなり切れている様子が感じられた。すぐには治らないかもしれない。そうなると口内炎になる恐れがある。それは非常にヤバい。痛くて食事もまともにできなくなる。今までの経験からすると、いったん口内炎ができたら2週間ぐらいは治らない。2週間もの間、痛くて食事もままならないとすると、ただでさえ多量の食物を要求している身体なのに、空腹で走れなくなる。このように、ちょっとしたケガでも、ずいぶん先まで予測して心配してしまうのだ。考えてみれば、ここまで事故もなく病気もせずによくやってこられた。なにかあったとき、ことによれば日本縦断を断念せざるを得ないときもあるかもしれない。それだけに、ちょっとしたことにも余計な心配をしてしまう。(この心配は、結局取り越し苦労に終わった。口内炎どころか、次の日には傷口も完全にふさがり、いつの間にか口の中を切ったことさえ忘れていた)
雨がパラパラと降ってきたが、カッパは嫌いだし小雨なのでしばらくそのまま走る。道は登り坂にさしかかった。大垂水峠へのアプローチである。この峠を越えると、いよいよ東京だ。雨足が強くなってきたので、仕方なくカッパを着た。雨は嫌いだけど、登りの場合、適度に身体を冷却してくれるので、ありがたいときもある。(太陽ギンギンの登り坂はたまらん!)
雨のおかげで楽に峠を越えたあと、ダウンヒルを楽しむと、八王子市。きょうの泊まりは八王子にしようと予定を立てていたのだが、少し早すぎるので(雨の日は予想以上にペースが上がって、予定地へはいつも早く着きすぎてしまう)、もう少し先まで走ってみることにする。
府中市でファミレスに入って食事をした後、またカッパを着て走り出した。だんだん都心に近づいていくにしたがって、自分が今どこを走っているのかわからなくなってくる。都会恐怖症がまた再発してきた。
新宿の高層ビルが見えてきた。少なくともあそこまで走れば現在位置ははっきりする。限りなく天に近い摩天楼の下に立ったとき、ついに東京まで来たという実感が湧いてきた。
(写真はイメージです)
こんな大都会で、ビジネスホテルなんかすぐ見つかるだろうか。またきょうも「全館満室でございます」攻撃じゃないのだろうか。と、心配もしたが、幸い新宿駅南口の近くに、すぐビジネスホテルを見つけることができた。今考えてみれば、巨大なリゾートホテルばかりの観光地よりむしろ東京の方がビジネスホテルの類いはたくさんある。
チェックインタイムの4時30分までまだ30分もあるので、少しロビーで待っててくれと言われ、荷物だけ外してソファーに腰を下ろした。時間が来たので、チェックインの手続きをした。ルームキーをもらって、エレベーターで4階まで上がる。部屋の窓からは、新宿駅が目の前に見えた。その向こうには、バベルの塔たちが、雨雲を突き破らんばかりにそびえ立っていた。
ビジネスホテルの部屋から見た新宿駅方面
(1981年)
洗濯をしたあと、少し新宿の街を歩いてみたくなった。外に出ると、雨はもう上がっていた。新宿駅南口まで歩いたとき、駅から出てきた人の波にどどっと押し流されて、自分の意志とは違う方向へと進まされてしまった。本当に東京は人が多い。
代々木方面にも足をのばしてみた。コンビニに立ち寄って、下着を買った。夜ホテルに帰ってから暇なので、雑誌も買っておいた。それから、小さな文房具店でボールペンを1本買った。これは、いつも夜に日記を書いているのだが、その日記を書くためのボールペンが、ここ数日どこへまぎれこんだか見当たらない。たぶん買った後に出てくるのだろう。
だんだん暗くなってきたので、大衆食堂に入った。本日4回目の食事である。最近よく腹がへる。九州を走っていたころは暑さに参っていて、三度のめしを食べかねたものだが、僕の身体もずいぶん変化してきたようだ。
(写真はイメージです)
夕食を終えて外に出てみると、もう真っ暗になっていた。僕は、太陽が沈むと途端に方向音痴になるが、きょうは心配ない。なぜならば、ホテルの近くにはとてつもなく大きな目印があって、どこにいてもこの目印を頼って帰ることが可能だからである。
少々歩きすぎたのか、足が痛い。
ホテルに戻ってから家に電話をした。ちょっと気取って、東京弁で報告をしたら、あきれられてしまった。
折り返し点の東京。思いもよらないハプニングをいくつも体験して、ようやく半分が過ぎた。まだまだ先は長い。予測できない明日を占いながら、都会の夜は更けていった。