4号線は大渋滞。僕は極細タイヤのパンクに泣く。
1981年8月13日(木)
-晴れ-
チェックアウトを済ませ、すぐ近くの喫茶店でモーニングを食べる。周りはほとんど背広にネクタイのビジネスマンばかりだ。うす汚い格好をしている自分がとても恥ずかしくなり(と言っても、誰も僕のことなんか見てないだろうが)、急いで食べて、そそくさと出ていった。
きのう、大量の人間に押し流されて、東京の人の多さをまざまざと見せつけられた新宿駅は、一夜明けると、まるで様子が変わっていた。人があまりいない。よく見ると、新宿駅だけでなく、街中にも昨夜のような人混みは見られなかった。時間帯が違うからなのかな、と勝手に解釈して、北に向かった。(のちに、この解釈は間違っていたことに気がついた)
さあ、困った。道がまったくわからない。地図を見ても実際の道と一致しない。どの道もみんな同じに見える。適当に走るしかない。とりあえず走ってみて、場所を移動すれば何か掴めるかもしれない。
池袋に来た。一応方向はあっているようだ。しかし、池袋を過ぎたらまたわからなくなってきた。自分が今どこをどう走っているのかサッパリである。あ~わからん!もうどうでもええわいっ!…と、適当に走っていたら、新荒川大橋に出た。この橋を渡ると埼玉県。東京ともお別れである。ということは、この道で間違いはないようだ。なんとか第一の関門は突破した。
問題はここからなのである。実を言うと、ここから先は地図を持っていない。東京に着く前に、どこかの本屋さんで関東地方の地図を買っておこうと思っていたのに、忘れていてそのままである。悩まなくても今すぐ買えば済むことなのだが、今から関東の地図を買うのもなにかもったいないような気がした。もう少し我慢すればすぐ東北に入る。そうすれば、関東の地図は買わなくて済む。おおっ、なんというケチ臭いやつじゃ!なあに、北に向かっていけばなんとかなるさ。少々無謀な気もするが…。
今走っているのは国道122号線。国道4号線に出たいのだが、どこかで進路を変えないと、どんどん違う方向に行ってしまいそうだ。蓮田駅前の本屋さんに入って、関東地方の地図を(買わずに)立ち読みした。それによると、もうしばらく走ると県道があって、右に曲がると国道4号線に出る近道がある。よしよし。ついでにここの本屋さんで東北地方の地図を買っておくことにしよう。
本屋さんの隣の大衆食堂で昼食にする。大衆食堂は好きだ。安くて量が多いということだけでなく、地元の人の会話を聞くことができるからだ。ここは埼玉県。四国人の僕の耳で聞くと、東京とほとんどかわりないしゃべりかたのように聞こえるが、実際には全然違うのだろう。しかしそれを四国人が聞き分けるのは困難である。もっと地方へ行くと、地元の人同士の会話は、まるで外国語を聞いているのかと錯覚するほど全く理解不可能なときがある。でもそれを聞くのが楽しい。
大渋滞の横でパンク修理。
国道4号線に出た。車がひどく多い。道幅が狭い割に交通量が多いことで有名なこの国道は、「恐怖の死号線」と恐れられているが(もちろん1981年当時の話です)、それにしてもちょっとこれは異常だ。ここまでひどいとは思わなかった。しばらく走っているうちに、車の量はさらに増えていった。数珠つなぎである。車のつながっているずうっと先の方まで目をやってみると、遥か彼方まで大渋滞になっている!車はほとんど微動だにしない。どこかこの先で事故でも起こっているのかとも思った。身軽な自転車の利点を活かして、右へ左へと車の間を縫うようにして走った。(良い子のみなさんは決して真似をしないように)
あっ! そうか!
僕は、ここではじめて気がついたのである。車のナンバーを見たのだ。そして、きょうの日付を思い出してみた。きょうは8月13日。ようやくこの渋滞の原因がわかった。並んでいる車のナンバーは、福島、山形、青森など、どれもこれも東北地方のナンバーばかりである。あ~、なんだ!帰省ラッシュじゃないか!
なるほど…。それで、きのうはあんなに人の多かった東京が、きょうはガラガラなのか。
そういえば、我が故郷の徳島は、きのう12日からあさって15日までの4日間、阿波踊りの真っ最中である。東京とは逆に、この期間の徳島市内は、普段の人口の5倍程度の人が集まる(4日間の延べ)。僕も昨年より徳島県阿波踊り協会所属の有名連に入れてもらっているのだが、今年はこんなところまで来てしまっているので、残念ながら「踊る阿呆」にはなれない。
止まっている車のイライラ顔を尻目に、スイスイと路肩を飛ばしていると、急にガタガタと振動が来た。パンクだ。前輪がペタンコになっている。道路の脇で修理する。再出発。しばらく走ると、また振動。今度は後輪だ。なんてこった!この渋滞の中、止まっている車たちの一斉注目を浴びて、パンク修理をするのは大変恥ずかしい。さっきまでこの車たちの横を、あざけるように走り抜けたことに対する天罰が下ったのか。それにしても、パンクするときはいつも前後仲良くセットだ。どうもパンクというのは伝染病の一種らしい。(勝手に“パンク菌”と命名)
宇都宮市には、午後6時に着いた。駅前をウロウロしていると、電柱に貼り付けてある広告に、「宇都宮セントラ○ホテル」という文字を見つけた。これは運がいい。さっそく公衆電話を見つけてそこから電話をしてみる。
フロント:「空室ございます」
よっしゃあぁ~~~!…タダイマ、ゼンカンマンシツ…じゃないぞ。
午後6時20分、チェックイン。
このホテル、一見高そうに見えるが、シングル3,800円と良心的な料金である(もちろん当時)。しかし、夕食800円、明日の朝食代600円、自動販売機で買ったウイスキーのミニボトル400円、おつまみ200円、旅行用携帯シャンプー200円、テレビ600円(ん?なんだこれは?)と、最終的にこのホテルに落としたお金は、合計6,600円。ちょっと使いすぎてしまった。
(ちなみに、現在はホテルの名前が変わっているようだ)