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Route-8 宗谷岬以降⑤

HOME > Route-8 宗谷岬以降> 1981年8月25日

遠く苦しかった旅もようやく幕を閉じた。心の中に宝物をかかえて、住み慣れた故郷徳島へ…。

1981年8月25日(火)
-晴れ-

いよいよきょうが最終日だ。泣いても笑ってもきょう一日。沖縄へ行ったのは、ほんの一月前なのに、もう何年も前のことのような気がしてならない。

ユースの朝は、いつものことながら本当に早い(豆壱郎が寝ぼすけでそう思うだけかもしれないが…)。僕自身は、きょうのスケジュールに充分余裕があるので慌てる必要はないのだが、周りにつられて6時15分には起き、6時半には朝食を食べた。
ゆっくりしたつもりでも、7時20分には身支度が整ってしまった。そのままユースにボーッとしていてもしかたがないので、出発することにした。それに、いくら余裕があるからといっても、先日の稚内の出来事のように、1分1秒先にはどんな出来事が待ち受けているかわからない。何事においても、早め早めに対処することは鉄則である。

午前7時30分、札幌駅到着。国鉄千歳線は、きょうは動いている。これに乗っても行けるが、国鉄千歳駅から空港まで歩かなければならないので、きのう下調べをしておいた直行バスに乗ることにした。これなら空港まで行ってくれる。
バスは豪華である。大型スケルトンバス、内装はリクライニングシートにシャンデリア。まるで観光リムジンバスだ。7時55分に出発し、千歳空港まで直行、約1時間ほどで到着した。

きのう、ユースの隣のベッドの人に教わった通り、まず荷物を預けることにする。デイパックを背中に背負おうと持ち上げると、肩ひもが付け根からバリッとちぎれてしまった。長期間の使用で荷重に耐えかねたのか、それとも所詮安物の運命なのか。いずれにしろあと半日の辛抱だ。まあいいさ。

荷物は、デイパックとお土産の紙袋だが、デイパックのほうは手荷物として機内に持ち込むことにして、お土産のほうを預けることにする。中身が飛びださないように、口のところに頑丈にガムテープを貼られた。タッグを渡され、
「2階の○○へ行ってクーポンをお渡しください」
と言われた。言われるままに2階へ行くと、今度は、
「××へ行ってください」
××へ行くと、
「△△へ行ってください」
と、何がナンだかわからないうちに、人の列に並んでいた。

飛行機初体験。

待合室でしばらく時間があったので、パック入りの寿司を買って食べた。やはり腹はよくへるままだ。そうしているうちに、搭乗の時間がきた。蛇腹のトンネルを歩いていき、飛行機の中へ。僕の席は、ちょうど翼のすぐうしろ、三つ続いた座席のいちばん右、窓際だった。隣には5~6歳ぐらいの男の子と、そのお母さんらしき人が座った。2人とも飛行機には慣れっこという感じだ。僕は、飛行機に乗るのはこれが初めてである。男の子が座席に付属しているイヤホンを取り出してラジオを聞いている。すかさず僕も真似してみた。しかし、どのチャンネルを回しても、放送している番組はあまり面白いものではなかった。

午前11時10分、ようやく飛行機は動き出した。滑走路に向かってゆっくりと機体を移動させている。前方に目をやると、映画館のスクリーンのようなものがあって、操縦席から見た滑走路が映っている。リアルタイムな映像だ。機体は所定の位置に着いた。と同時にエンジン音が急激に高まった。なにしろ僕の席は、エンジンをぶら下げた主翼のすぐうしろなので、たいへんうるさい!
次の瞬間、グググ~ッとすごい力で僕の身体は座席に押し付けられた。窓の外の風景は、恐るべきスピードでうしろに向かって飛んでいく。こんなすごい加速感を味わったのは生まれて初めてだ。感動に浸る間もなく今度は身体がうしろに倒れた。そしてシートの下から押し上げるような力が働いたかと思うと、あっという間に窓の外の地面が遠くなっていった。機体は斜め上を向いたままどんどん上昇を続けていく。地平線が斜めに傾いたままぐるっと回って、北海道の風景は見る見る小さくなっていった。飛行初体験。自分のからだが宙に浮くというとても信じがたい事実に直面して、表面上は平静を装いながらも、心の中はしばし放心状態であった。
(今思えば、かなり大げさだが、このとき豆壱郎は初めての飛行機体験で結構ドキドキものだった)

機内食としてサンドイッチが出た。ちょうどお昼で腹がへっていたときだった。窓の外の風景は、千歳を飛び立ったあと前半はずっと海ばかりで面白くなかった。半分を過ぎた辺りから陸地が見えてきだした。能登半島だ。ものすごい高いところを飛んでいるのだということを実感した。なにしろ、日本地図でおなじみの、あの能登半島の形が、あの形のまま僕の目に映っているのだから。これはすごい。しかも、そんなに高いところを飛んでいるにもかかわらず、その能登半島がじりじりとうしろに下がっていくのがわかるところがまたすごい。つまり、それほどこの飛行機のスピードが速いということなのだ。飛行機初体験、二つ目の感動!

飛行機

能登半島が窓から消えると、今度は北アルプスの山々だ。まったく幸運なことに、雲ひとつ浮かんでいない。すべてが見える。原寸大の日本地図だ。思わずワ~オ!と叫んでしまいたくなる。

半月ほど前には、自分はあの辺を自転車で北上したんだなあと思うと、何日もかけて走ったところを、たったの2時間足らずであっさりとひとまたぎしてしまうことに、言葉で言い表せない、虚しさのようなものも感じる。あまりにもあっけない。

興奮したり感心したりしているうちに、もう大阪上空だ。さっきまで、信じられないくらいの高度を飛行していたのに、いつの間にかグッと低空飛行になり、大阪のビル街がよく見えてきた。さらに高度は下がり、また、スピードも極端に遅くなってきた。こんなにゆっくり飛んで落ちないのかと不安でしかたがない。窓の下には、もうマンションや民家がすぐそこにあり、犬を連れて路上を散歩する人などの姿さえはっきりと見える。手を伸ばせば届きそうだ。窓の外の、翼のフラップは全開で大きく下がり、翼は2倍も広くなっている。やがて町並みは通りすぎ、大阪空港へとやって来た。再び前のスクリーンに滑走路が映し出され、着陸の映像を乗客に伝えた。着陸の瞬間は、つい身構えてしまって身体が固くなったが、予想していたより全然ショックは少なかった。操縦士がうまいのか、それともこれが当たり前なのか、初体験の僕としては知る由もない。

1時間45分のフライトを終え、飛行機は大阪空港に無事着いた。蛇腹の通路を出てロビーへ行くと、もうコンベアから荷物が出ていた。他の乗客たちも、荷物の回りをグルッと取り囲んでいて、よく見えない。背伸びして自分の荷物を探す。ガムテープを貼った紙の袋だからよくわかるはずだが、なかなか出てこない。15分ぐらい待って、ようやく出てきた。

最後の最後になって、またしても思わぬハプニングが…。

さあ、これからどうする?東神戸か大阪南港へ行きたいのだけれど、どうやって行ったらいいかわからない。田舎者はこれだから困る。まさかタクシーを拾うわけにもいくまい。空港の外に出ると、バス乗り場があって、芦屋行き、なんば行き、梅田行きなどの直行バスが出ていた。大阪南港へ行くには、なんばか梅田へ行けばいいのだろうが、なにしろ大阪の地理についても知識ゼロであるから、どちらが近いのかまったくわからない。一旦空港内に戻り、売店で売っていた地図を立ち読みする。ははあ、なるほど。なんばへ行ったほうがよさそうだ。さっそくなんば行きの直行バスに乗り込んだ。

午後2時、なんば着。バスを降りるとたしかに大阪の中心街である。さあ、またまた困った。こんなところに降ろされたら、ますますわからないじゃないか!しばらくウロウロした。どうしよう。右も左もわからない。背中にデイパック、手にはお土産袋、これじゃ完全なオノボリさんそのものだ。カッコワリィ~!

ふっと見ると、高○屋のビルがあった(じつはここがなんば駅であるが、このときはまだそれに気がついていなかった)。本屋さんに行ってもう一度地図を立ち読み。バスの路線を見たがさっぱりわからない。地下鉄ならなんとかわかりそうだ。地図によると、四ツ橋線に乗れば大阪南港まで行けそうである。
階段を下に降りていくと、いつの間にか駅の構内にいた。自動販売機でキップを買い、四ツ橋線の青いラインに沿って構内を歩いていく。

途中、激しい便意に襲われた。思わず3週間前の四国・吉野川のナマナマしい記憶がよみがえる。うっ!これは激しい!グワッ!我慢できない!慌ててトイレに駆け込んだ。個室に入り、ズボンを下ろしかけたときに、前を見て愕然となった。

カミがない!

どうしよう。でももう間に合わない。うピーーこはもう出口まで出かかっている。しかたなくそのまま…した。すっきりしたところで、さて、トイレットペーパーの代わりになるようなものは…?と、探してみたが、僕の荷物の中にはティッシュもなければハンカチとかもない。固いものではお尻が痛いし、痔になりそうだし、タオルならあるがこれを使うのは少々抵抗があるし、まだ使わなければならないし…。

…で、きょうが最後だし、捨ててもいいや…っていう「あるもの」を使うことにした。何を使ったかは、…それは永遠のナゾということにしておこう。(笑)

四ツ橋線は、終点が住之江公園。そこからはニュートラム・ポートタウン線に乗り換え。ニュートラムは、神戸のポートライナーと同じもので、まだ新しい(当時)。タイヤがゴムなので音も静かで振動も少ない。南港フェリーターミナルで下車。なんとか無事に大阪南港にたどり着いた。

ここからはもう徳島港まで船に乗るだけだ。出航までまだ時間はある。まず食事だ。きょう4度目の食事だが、まともなのはこれが初めて。朝はユースホステルで軽く。次が千歳空港で巻き寿司。その次は飛行機の中でサンドイッチ。ここへ来てようやく定食にありつけた。う~ん、満足。

家に電話をして、午後8時40分ごろに徳島港に迎えに来てくれるよう頼んだ。受話器を置くと、ようやく旅の終わりという実感が湧いてきた。ここまでは、なんとかして家までたどり着かなければならない緊張感で無我夢中だったが、やっとここまで来て、安心したというか、ようやく振り返る余裕が出てきたようだ。

ああ、本当に日本列島を縦断したんだなあ。徳島を出発してからきょうは32日目。僕にとっては、とてつもなく長い1ヶ月だった。沖縄を走っていたのは、あれは本当に1ヶ月前のことなのか?

午後5時10分出航。大阪の街の灯りが遠ざかってゆく。デッキで風に吹かれながら、僕の頭の中では、きのうまでの出来事が走馬灯のように浮かんでは消えていった。本当にいろんなことがあった。今は、楽しいことより苦しかった記憶しか頭に浮かんでこない。しかし、これも時の流れの中で、次第に良き思い出へと変わっていくのだろう。

眉山夜景
眉山(当時の写真ではありません)

午後8時50分、予定より少し遅れて、船は徳島港に着いた。港には両親が迎えに来てくれていた。久々に見る徳島の町並み。別に何一つ変わってはいないが、やっぱり故郷は懐かしいものだ。
我が家へと向かう帰路、車の中で父がハンドルを握ったまま、
「どこがいちばん良かった?」
と訊いてきた。
やっぱり…徳島がいちばんやな
と答えた。偽らざる本音である。

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本日の出費 合計3,870円
直行バス(札幌~千歳空港) 600円
めし 350円
バス(大阪空港~なんば) 250円
地下鉄 210円
電話 70円
フェリー 1,710円
めし 680円

※金額は1981年当時の実際の金額です。

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