たった一日限りの沖縄滞在だったけれど、あの強烈なイメージを生涯忘れることはないだろう。
1981年7月28日(火)
-晴れ-
しまった!寝過ごした!!
時計を見ると午前7時10分。きょう乗らなければならない鹿児島行きの船は、9時に出航するのだ。食事もそこそこにユースホステルを飛び出し、那覇港に向かった。
8時10分に港には着いたのだが、乗船手続きをしようと思ったら、窓口に長蛇の列ができている。10分、20分と時間が過ぎていくにしたがって、イライラが増す。
早くしてくれ。ほかの大勢の乗客と違って、僕は手続きが終わってもすぐ船に乗れるわけじゃない。まだこれから自転車をバラして輪行袋に詰め込まなければならないんだ!しかも、僕の自転車は折りたたみ式ではないので、バラすのに時間がかかる!
やっと僕の番が回ってきて、手続きも済んだ。急いで自転車をバラす。10分で完了。慌てて作業をしたので、キズがついたかもしれない。しかしなんとか乗船もできてホッと一安心だ。
2等指定席の切符をもらったので、番号を確認しながら自分のスペースを探した。来るときの船の2等船室はすぐに見つかったのに、今回は探すのに苦労した。ようやく探し当てた指定席というのは、“指定席”とは言え、1等船室のように仕切られた部屋でもなければ自分専用のベッドがあるわけでもない。あくまで2等船室なので、雑魚寝に変わりはなく、“指定”というのは幅およそ5、60センチ程度の狭いスペースが“与えられている”ということだ。頭の部分に番号が書いてあって、ほぼ強制的に「あなたのスペースはここです。ここに寝なさい!」みたいな感じで指定されている。僕はヤセ体型だからまだいいが、力士みたいな体型の人はどうするんだろう?
ああ、それにしてもまた退屈な船旅の始まりだ。今度は24時間だから前より10時間ばかり短いとは言え、34時間も24時間も長時間であることには違いなく、どちらにしても船旅を楽しむ気分にはなれない。前回でもういいかげん懲りているから、本当は乗りたくないけど、予約して料金も先払いしてあったので、ここはじっと耐えるしかないだろう。
(写真はイメージです)
ただ、憂鬱なことばかりでもない。ひとつだけとても印象に残っていることがある。この船、照国郵船は、直行便ではなく、那覇を出発した後、与論島、沖永良部島、徳之島、そして奄美大島と、島々に寄港していき、最後に九州の鹿児島に着くのであるが、その中でも特に与論島の海が超絶美しかったのだ!あんなきれいな海の色を見たのは初めてである。
感動する風景というのは、地球上からどんどん無くなりつつある。この与論島の海も、あと何年美しさを保っているかわからないけれど、僕はあの色を決して忘れまい。
さて、船酔いはまたひどくなってくるし、食欲もない。昼も夜もサンドイッチを買って食べたが、ほかにはなんにも食べる気がしない。あとはジュース類ばかり飲む。吐き気も何度か襲ってきた。日本縦断に出発してまだ3日しか経っていないのに、完璧に体調を崩してしまいそうだ。出発前はコンディション作りにものすごく気を遣ったつもりだが、すべて無駄になった気がする。もっとも、長時間の船旅で体調を崩すなど、思ってもみなかった。僕の考えが甘かったということである。机の上で考えた計画と、実際に現場で起こる出来事とには大きなギャップがあるということを痛感したが、今頃それに気がついてももう遅い。
夜、まだ時間は早いけど、これと言ってすることもないし、激狭の指定席で早めに寝ることにする。ところが、船室内は蒸し暑いし、照明が明るいし、ほかの乗客の話し声がうるさいしで、眠れない。またムックリ起きて、ウロウロ歩き回ったり、イスに座ったりして時間をつぶした。遅くなってから照明も消えてみんな寝だしたので、ようやく寝られると思った…。
思った…のは大きな間違いだった!となりに小学校の1、2年生くらいの男の子が寝ていたのだが、コイツが寝相が悪くて人のからだ蹴飛ばすわ、寝言は言うわで、全然眠れましぇ~んん!
ただでさえコンディションが最悪だというのに、さらに追い打ちをかけるか?(T^T)