自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

日本縦断大計画①

どんな緻密な計画を立てても、現実にはなかなかその通りにはいかないものだ。

実際に旅に出てすぐに壊れてしまった。

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心のモヤモヤの正体は、僕の中の隠された野生だった。

僕が日本縦断という言葉を初めて知ったのは、高校1年(15歳)の時だった。サイクリングに興味を持ちはじめて間もないころ、「サイクルスポーツ」という雑誌に、日本縦断をした人のレポートが掲載されていたのである。その時はそれほど気にも留めていなかった。むしろ、日本一周に興味があった。
昔、荘司としおさんという人が描いた漫画で「サイクル野郎」という本があった。主人公が自転車で日本一周する話である。この漫画に思いっきり刺激され、僕もいつか自転車で日本を一周したいなあと思っていた。おそらくこの漫画に影響されて実際に日本一周したサイクリストは結構いると思う。

日本一周は、サイクリストにとっては共通の夢である。サイクリングに興味を持つ人なら誰でも、一度は日本一周をしてみたいと思うことだろう。しかし、現実にはなかなか問題も多く、本当に実現する人はそんなに多くはない。あるいは、出発しても途中で挫折する人もいるかもしれない。
日本一周というのは、日本各地をゆっくり回りながら、その土地土地の風土や習慣、あるいは言葉の違いなどを、自分の目で、耳で、からだで感じとる旅である。言い換えれば精神的な旅であるが、それに対し、日本縦断はスポーツ的な要素が大きい。いわば肉体的な旅である。つまり、何日間で走破できるかという記録への挑戦がその目的であることが多い。したがって、日本縦断をやる人は、学生がその大半を占める。僕が日本縦断を決意したのは、高校3年の春のことだったが、体力に自信のない僕に記録への挑戦ができるはずもなく、その当時、僕が日本縦断をやりたいと思った動機というのは、むしろ日本一周にも似た精神的なものであった。

 

みかんの皮がむけなかったあの日から…。

話は更に過去へとさかのぼる。

1975年2月7日
僕にとって記念すべき一日である。高校入試を1ヶ月後に控えていながら、僕は友だちと日帰りのツーリングに出かけた。これがすべての始まりである。サイクリングなどまったく初めての僕にとって、80キロの道のりは途方もない距離のように思えた。コースは、峠道あり、海岸沿いの道ありと、バラエティーに富んでいるが、少し風が強く、疲労も大きかった。しかし、完走したときの気分はじつに爽快なのである。僕は完全に自転車に魅せられてしまった。家に帰り着いたときはもう疲労困ぱい、階段はひざが笑って昇れず、みかんを食べようと思っても、手がブルブル震えて皮がむけなかったのを今でも覚えている。

1975年4月
高校入学。以後3年間は、夏休みや冬休みになると、友だち数人でテントや飯ごうを持参してキャンピングツアーによく出かけ、四国、九州、近畿地方などを回った。

ランドナー
高3の夏、九州に行ったときの自転車
(1977年)

1977年4月
高校3年。僕は大学へ行く気はまったくなかった。高校を卒業したら就職するつもりでいた。したがって、高校3年の夏は僕にとって最後の夏休みになるだろう。最後ぐらいは何かドデカイことをして派手に盛り上がりたい。その時僕の心に浮かび上がったのは「日・本・縦・断」という4文字であった。

一般的に言って、日本縦断のコースというのは、九州・佐多岬と北海道・宗谷岬とを結ぶ約3,000キロ。これを何日間で走破できるか。一日に200キロ走るとして15日。なかには5日間で走りきるバケモノもいるらしい。しかし、僕にはとても記録に挑戦する体力などないし、そんな野望は持っていない。完走さえすればそれで満足なのである。

まず、コースの設定をしなければならない。できるだけ短期間で完走するには、距離を短くすればいい(資金面においても体力面においてもその方が有利である)。地図を広げ、最短距離で日本を縦断できるコースはないものかと、来る日も来る日も電卓をたたいた。そしてようやく見つけた最短コースは延長2,300キロ。これなら一日150キロ走ったとして15日あれば完走できる。

しかし、結局はこの計画も実現しなかった。高校生の僕としてはまだまだ問題が山積みで、決行するには至らなかったのである。それでも日本縦断への熱い思いは、決して消えたわけではなく、むしろ逆に決意を固めることになったのは言うまでもない。
「よし!二十歳になったら必ず決行してやるぞ!」

野望と決意。

1978年3月
高校卒業。そして、地元の会社に就職して社会人となる。

1979年11月
二十歳を過ぎた。

1980年1月
僕の計画では、今年こそが日本縦断決行の年だ。基礎的な体力をつけるため、トレーニングを開始する。腕立て伏せや腹筋などの基本的な運動から始め、徐々にランニングなども取り入れた。また、自転車によるトレーニングも当然のことながらしなければならない。平地を走るよりも登り坂のほうが効果が上がると思い、自宅から数キロの所にある眉山という山(標高280m、頂上まで舗装道路が約5キロほどある)まで走ることにした。ここがかなりきつい勾配で、部分的に歩くような速度まで車速の落ちるところが何カ所もある。汗だくになり、歯を食いしばって、渾身の力を振り絞る。まさにもがくという感じだ。この場面だけは誰にも見られたくない。カッコ悪い。まるで、キレ痔の人がトイレでウンウン唸っているようなものである(失礼!)。短距離だから、マイペースで走るというようなことはしない。一気に走りきる。心臓がパンクしそうだ。頂上到着。所要時間20分。まだまだ遅い。高校の時は17分ぐらいで登っていたはずだ。体力は確かに落ちている。恥も外聞もなく路上に大の字になる。呼吸が激しい。頭の中は真っ白だ。目をつぶったまましばらく呼吸が落ち着くまでそのままいる。そっと目を開けると、青空がグルグル回っている。こんなに体力がないのに、日本縦断なんて大それたこと僕にできるのだろうか。
その後、眉山には何度も登ったが、タイムは徐々に良くなり、16分台ぐらいまで縮めることができた。

コースや日程その他についての計画も、まだ漠然としたものなので、細かいところまで少しずつ煮詰めていかなければならない。ユースホステル、長距離フェリー、飛行機などの予約は? 会社への休暇願いは? 親の説得は? まだまだやることが山ほどある。頭が痛い。

ミニベロ
ミニベロ
(タイヤの小さい自転車のこと)

「サイクルスポーツ」という雑誌の1月号に、変わった自転車が掲載されていた。タイヤは16インチ、普通の自転車の3分の2ほどしかない。それでいてフレームは一人前、ライディングポジションは普通車とほぼ同じになるよう設計されている。スポーツタイプのミニベロだ。一般的なミニサイクルとは一線を画している。この記事を読んでいるうちに、ものすごく欲しくなってきた。そして、抱いてはならぬ野望がふつふつと沸いてきた。もしも、このミニベロで日本縦断をしたら…。おそらくミニベロでこれほどの長距離を走った人はいまい。なぜならば、26インチや27インチの自転車と比べると、まったくと言ってよいほどメリットがないのである。しかし、あえて僕はそれに挑戦しようとした。いつも人と違ったことをしたいと思っている僕にとって、普通の自転車で日本縦断をすることになんの魅力も感じない。単に人のまねごとをするのではなく、僕だけの日本縦断を作りたいのだ。こうして、僕はミニベロの製作を決意したのである。

ミニベロによる日本縦断だけでもかなり個性的であるのに、僕はさらに欲張ったことを考え出した。それは、どうせやるなら47都道府県をすべて通過したいということだ。もともと僕にとっての日本縦断は、スポーツ目的ではなく、むしろ日本一周のような精神的なものである。日本縦断でありながらも日本一周の要素をその中に取り入れたいのだ。
すべての県を通過するということは、太平洋側と日本海側とを同時に走らなければならないということである。そのためには、かなりジグザグに走る必要がある。ヘタをすると4~5千キロという長距離を走るハメになってしまうかもしれない。それでは縦断ではなくまさに一周に近いではないか。コースどりを工夫して、できるかぎり距離を短縮しなければならない。僕は、3年前と同じように、毎晩地図とにらめっこ、そして距離を計算するため電卓をたたきまくるという作業に没頭した。

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