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番外編 富士スバルライン④

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1982年8月1日

昨夜は、かつてのクラスメイトと共に夜中までしょーもない話に花を咲かせていたが、僕はきょう中に徳島の自宅に帰らなければならないので、早めに起きて帰り支度をすることにした。他の3人は、きょうは日曜日で休みなので、僕が帰るのに合わせて、西に向かって富士山辺りまでドライブに出かけるか…ということになり、朝食を手早く済ませて、どんよりとした空の下さっそく家を出た。

僕のスバルレックス号には友人Kが同乗し、友人Mの赤いプレリュードに友人Fが乗り込んで、友人F宅を出発。まず、高島平から首都高速に乗り、東名高速で西へ走る予定だ。友人Kは、東京に2、3度しか来たことのない僕に、助手席でバスガイドさんになりきって、
「はい、右に見えますのが東京タワーでございま~す」
などと、東京案内をしてくれている。

そのうちに、とうとう雨が降りだした。昨夜の天気予報で台風が接近中なのは知っていたが、できることならお会いしたくないので、会わないうちに徳島に帰りたかった。どうやら僕はほんとうに台風男らしい。昨年の日本縦断の時も2回も遭遇してしまったが、僕がどこかへ出かけるといつも台風が寄ってくる。

それにしても、前を走る友人Mのプレリュードは速すぎる。いつも走り慣れているのか、首都高を、周りの車の間を縫うようにスイスイと走り抜けていく。こっちは軽自動車。しかも慣れない道。おまけに隣でバスガイドの案内付き。どんどん置いていかれる。ここで、置いてきぼりにされまいと焦ったのか、大変な失敗をしてしまった。でも、それに気がついたのは、もうどうしようもないところまで来てからのことだった。

 

かなり激しくなった雨の中では、前を走る赤いプレリュードを見失いがちだった。ときおり数台前、200~300m前方に見え隠れする赤い車(もうこの距離では車種は判別できない)を必至で追いかけ、やっとの思いで近くまで追いついたとき、僕と友人Kは愕然となった。

「プレリュードじゃない…」

そう。僕たちは全然違う赤い車を追いかけていたのである。 しかも、しかも、しかも…。
ここで驚愕の事実に気がつき、目ン玉5m飛び出した!

「ここは東名高速じゃない(T_T)」

ああ、なんてこった!そうだ。友人Kのバスガイドに笑っているうちに、首都高速で、東名高速と中央道との別れ道を間違え、きのう自分が通って来た中央道をまた戻ってしまったのだ。
豆壱郎:「東京に住んでるオマエがちゃんと道案内せんからじゃ!」
と、友人Kに罵声を浴びせても今さらどうしようもない。泣く泣く埼玉の友人F宅まで戻った。現在なら、携帯電話という便利なものを活用して、こんな事故は決して起こらないだろう。しかし、この事件は1982年。一般人が携帯電話を持ちだすのはまだまだまだまだ先のこと。

僕と友人Kは、埼玉の友人F宅で待つこと数時間。夕方になってようやく友人Fは帰ってきた。もう一人の友人Mは、横浜に住んでいるので、途中で友人Fを降ろした後、自宅に帰ったらしい。友人Fはその後電車で埼玉まで帰ってきたということだ。
僕は、明日の朝には会社に出勤しなければならないので、今からここを出て、徳島まで帰ると言った。しかし、台風がもう間近まで接近していて、友人2人の
「自殺する気か!」
との強い説得に負け、しかたなく今夜もう一晩泊めてもらうことにした。

もちろん、次の日の悪夢のような出来事の伏線が、この時点ですでに張られていることなど知る由もない…。

月日 本日の行動
8月1日 埼玉----首都高速----中央高速----埼玉
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