自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

Route-4 近畿・北陸①

故郷は遠くなっていくばかり。
僕の心に向かい風が吹く。

本州上陸。ロードレーサーに乗り換えたおかげで走行距離は飛躍的に伸び、体力的にも余裕が出てきた。だが、逆に気力のほうは日を追って欠乏してゆく。日本縦断にどれほど価値があるのか。

近畿・北陸

HOME > Route-4 近畿・北陸> 1981年8月6日

1981年8月6日(木)
-くもりのち晴れ-

昨日、自転車をミニベロからロードレーサーに乗り換え、我が家を再出発した僕は、予定していた神戸まで行くことができずに淡路島の洲本で泊まることになった。そして一夜が明け、新たな気分で朝を迎えた。

ホテルを出て、海岸沿いの道を北に向かって走る。ロードレーサーは、ミニベロと比べると前傾姿勢が強めなため、首や肩が痛い。慣れるにはしばらくかかるだろう。しかし、ペースはじつに快調である。一踏みでどこまでも走ってゆけそうだ。とにかく楽をして距離が稼げるのだ。やはり最初からロードレーサーで出発すべきであったと、いまさらながら後悔する。(ミニベロちゃんには悪いが…)

大磯港から、フェリーで須磨に渡った。いよいよ本州だ。とうとう中国地方は完全に飛ばしてしまった。47都道府県全走破の断念とともに、無駄な遠回りを避けたためである。(※1981年には大鳴門橋も明石海峡大橋も存在していない。この当時、四国と淡路島と本州をつなぐのはフェリーのみ)

 

神戸、大阪の道はほとんど知らないので、適当に東に向かって走った。案の定、大阪で迷ってしまった。田舎なら、地図さえあればどこでも行けるし、地図がなくてもなんとかなる。でも、都会はそうはいかない。以前、車で真夜中、大阪の街を迷い迷って2時間あまり走り回った経験があるので、都会の道の怖さは知っているつもりだったが、また迷ってしまった。地図を見ても現在位置すらわからない。太陽の位置で方向を確認して、あとは勘だけを頼りに走った。

兵庫大阪地図

それからどのくらい走っただろう。道路の案内板などを見ても、聞きなれない地名ばかりだ。
「↑四条畷」という文字が目に入った。
「しじょうなわて~??」
慌てて止まって地図を見た。やっぱり道をそれかけていた。実際には、門真市付近でうろうろしていたわけであるが、気がつかずにそのまま行けば、生駒を越えて奈良県に入ってしまうところだった。僕は京都に向かいたいのだ。どうにか、国道1号線に復帰。あぶない、あぶない!

空が暗くなりかけてきたころ、後輪がパンクした。修理して走り出す。走り出してすぐ今度は前輪がパンク。なんということだ。ミニベロでは一度もパンクなんてしなかったのに。やっぱりタイヤが少々細すぎたか?

京都駅に着いたときは、もう空は真っ暗になっていた。さあ、ホテル探しだ。駅の周辺は高級ホテルばかりだが、ひるまず入っていく。

京都
(写真はイメージです)

まず目についたのが京都タ●ーホテル。
豆壱郎:「すみません。予約していないんですが、シングル空いてませんか?」
フロント:「申し訳ございません。ただいま全館満室でございます」
京都第二タ●ーホテル。
フロント:「ただいま全館満室でございます」
京都センチュ●ーホテル。
フロント:「ただいま全館満室でございます」
京都第三タ●ーホテル。
フロント:「ただいま全館満室でございます」
京都グラ●ドホテル。
フロント:「ただいま全館満室でございます」
くそ~~~~~!!
どこもみんな同じ答えなのかよ! そんなはずないだろ。一部屋ぐらい空いててもいいはずだ。
…そうか、この格好がいけないんだな? よく考えてみると、こんな高級シティホテル、スーツにネクタイでなきゃ入れてくれるはずがない。こんなうす汚い、浮浪者のような格好をして入っていった僕がバカだった。くそ! 今度来たときはバリバリのエリートの格好で堂々と入ってやる!

ずいぶん探し回ったので、すっかり疲れてしまった。もうどこでもいいや。あとから考えてみると、こんな街のド真ん中で探すよりも、ちょっとはずれた所のほうが、安くていいところはいくらでもあっただろうに…。
観光案内なんかも利用すればよかった。しかし、このときはただ探すのに必死でそこまで思いつかなかった。

午後8時30分。結局、四条烏丸の角にあった京都旅行会館というホテルに泊まることにした。中居さんが部屋まで案内してくれた。部屋の入り口すぐ左側に風呂があり、正面の一段上がったところに3畳程度の部屋があった。その右側に8畳ぐらいの畳の間が広がっていて、障子があり、開けると、板間があってテーブルと椅子が置いてあった。隅に冷蔵庫もあったが、何にも入っていなかった。窓からは、烏丸通を眼下に見下ろして、せわしなく通り過ぎる車の光跡を目で追った。この広い部屋にたった一人で寝るのか。なんだかもったいない気がした。

疲労困ぱい。広い部屋の真ん中に敷かれた布団に大の字になる。ようやく長い一日が終わった。といっても、走って時間が過ぎたのではなく、ホテル探しで時間を食い、疲れてしまった。なにをやってるんだか…。

空調が効き過ぎて少し寒いくらいだが、どこにスイッチがあるのかわからないので、あきらめて布団をかぶってそのまま寝る。

本日の走行距離: 130km
累計の走行距離: 814km
累計走行距離インジケータ

沖縄
(スタート)

東京
(中間点)

宗谷岬
(ゴール)
現在地
本日の出費 合計6,330円
フェリー(大磯~須磨) 620円
コーヒー 80円
ジュース 100円
缶コーヒー 100円
めし 330円
ホテル 5,000円
ジュース 100円

※金額は1981年当時の実際の金額です。

  • ←前ページ
  • HOME/目次
  • 次ページ→
目次

自分史、自費出版、体験記のWeb版は、株式会社ピクセル工房

▲PAGETOP▲