憧れの北海道は、まるで冬だった。しかし地獄に仏。旅先での親切は身にしみる。
1981年8月19日(水)
-雨のちくもり-
最も眠たい時間に起こされた。午前3時15分、室蘭港に着岸。昨夜、予定の苫小牧行きのフェリーに乗れず、室蘭行きのフェリーに乗らなければならなかった僕は、まさかの1等船室の中で、うつらうつらと浅い眠りについたところだった。折からの悪天候で、船はかなり揺れていたが、酔わないためには寝るに限る、と、横になったものの、やはりこういう状況では熟睡はできない。
寒い。ものすごく寒い。乗客の中には、ダウンジャケットを着ている人がいたが、正解である。信じられない。まだ8月なのに。それも、僕はつい昨日までとんでもない酷暑の中を走ってきたばかりだというのに、津軽海峡を渡っただけで、まるでタイムマシンに乗って冬に瞬間移動したみたいだ。
港に降り立った。空は真っ暗。まだ、早朝という時間には早すぎる。真夜中だ。雨はやっぱりショボショボと降り続いている。おまけに雷がピカピカ、ゴロゴロ。決して近くはないが、不気味だ。こんな時刻にこんなところへ放り出されて、いったいどうしろというのだ?…もちろん、走らなければしかたがない。とにかく道の続いている方向に向かって、ペダルを回しはじめた。背中は地球岬。地の果てである。地の果てから、反対側の地の果てを目指して、真夜中の雨の中を縫いながら走った。
腹がへったが、あいにく食べ物はなんにも持ちあわせていないし、こんな時間だから空いている食堂もない。空腹をごまかすため、福島のサイクルショップでもらった「スポルティーボ」(スポーツキャンディー)をほおばる。強烈な酸味により、一瞬で口の中に唾液が充満する。しかし、これは空腹をごまかすどころか、かえって空腹誘発剤となるにすぎなかった。
道路は、かまぼこ状に路肩のほうが低くなっているため、そこに水が溜まって、まるで川のようになっている。が、中央部はかろうじて水没していない。ここ室蘭も、どうやら昨夜はかなりの豪雨だったとみえる。車が一台も通らないのをいいことに、センターラインの上を堂々と走った。この広い道路は僕一人のものだ。
腹へった!考えてみると、きのうの昼以来、まともなものは口にしていない。ペダルは力で回しているのではなく、足の重さで回っているだけだ。「グ~~」腹が鳴る。やかましいぐらいに。頭の中では、食べ物がどんどん浮かんでは消え、また浮かんでは消え。カレーライス、カツどん、やきめし、ラーメン、チキンライス、そば、うどん、親子丼、スパゲティ、冷やし中華、あ~~~!!たまらんんっ!…といっても、この時刻に空いている食堂があるとは思えないし、あと何時間空腹を我慢しなければならないのか。それまで、はたして僕の身体ががもつのだろうか。
(写真はイメージです)
それからどのくらい時間が過ぎたろう。周りの景色がうっすらと見えるようになってきた。右側はすぐ海のようである。かなり激しい波の音が聞こえる。ゴーゴーと、荒れている様子が伝わってくる。防波堤の切れ目から見え隠れする海は、まだ夜が明けきらぬ弱い光の中でも、白波が立っているのがはっきりと見え、モノクロームの写真のように、深く色を沈めていた。
ポツンと明かりのついた建物が僕の視界の中に入ってきた。大衆食堂である。まさかこんな時刻に?…と思ったが、のれんがちゃんと出ている。時計の針は、午前5時50分を指していた。おそるおそる中に入って見ると、店のご主人と、お客さんが2人ちゃんといる。ようやく安心して、イスに腰掛けた。
豆壱郎:「え~と…。すいません。…親子丼」
ご主人:「あいよっ」
歳は50代半ばか後半ぐらい。体格のよい、プロレスラーのようなガッチリしたご主人が、親子丼を僕の座った机まで持ってきてくれた。
2人のお客さんが帰った後は、僕とご主人だけになった。
豆壱郎:「こんなに朝早く店を開けてるんですか?」
ご主人:「ウチは24時間営業だよ。この辺は釣り客が多いからね」
豆壱郎:「ああ、そうなんですか。いやあ、僕もまさかこんな時間に開いている店なんてないと思っていたから、助かりましたよ。じつは、今朝の3時過ぎに室蘭に降ろされて、ここまで腹がへって死にそうだったんです」
ご主人:「自転車かい。どっから来た?」
豆壱郎:「徳島です」
ご主人:「徳島って、四国の?」
豆壱郎:「ええ」
ご主人:「ほう、そりゃまた遠いところから来たんだなあ。で、これからどこへ?」
豆壱郎:「宗谷岬です」
ご主人:「宗谷岬ったら…どこにあるんだ?」
このおっさん、北海道の人間でありながら、宗谷岬を知らないのか?
豆壱郎:「日本最北端の地ですよ。ずーーっと北へ行って、こうなった先っぽ」
と言って、僕は両手でトンガリ帽子の形をして見せた。
ご主人:「おお、あそこが宗谷岬か。そういえば昔一度行ったことあるわ。しかし、おまえその細い身体で、よくここまで走って来られたな。おっさんぐらい丈夫な身体してたら安心してられるけどな。病気で細いんじゃないのか?」
豆壱郎:「まあ、丈夫だとは言い難いですけどね、そこそこ健康ですよ」
ご主人:「そうか。ま、健康なのが一番だ。…あ、そうそう。風呂入ってけ、風呂!ウチは温泉だからいつでも沸いてるんだ。旅のアカでも流していけ」
豆壱郎:「え?いいんですか?じゃあお言葉に甘えて」
嬉しい。そういえば、昨夜は船の中で泊まったので、風呂に入っていない。雨の中も走ったし、ベタベタして気持ち悪かったところである。さっきまでの最悪の状態から一変して極楽に来たような気分だ。地獄に仏。旅先での親切は身にしみて嬉しい。
といっても、おじさんのほうにしてみれば、朝早く店を開けているのは「営業」だし、風呂だって温泉だからいつも沸いていて、お客に無料で提供するのもたぶん日常的なことで、いつものあたりまえのことなのだろう。でも、施しを受けたこちらとしては、ここまでの経過が悲惨だっただけに、すごくありがたいと思えるのだ。
温泉につかると、いままでの嫌なこと、モヤモヤを、すべて忘れてしまえそうだ。ふわーーっとして、すごくリラックスした気持ちになった。ずっとこのままでいられたら…。
…いや待て。この考え方は、現実からの逃避だ。僕にはまだやらなければならないことが残っている。宗谷岬に着くまでは、まだまだ安堵感に浸っている余裕などない。
豆壱郎:「どうもありがとうございました。いい湯でした」
ご主人:「ああ、さっぱりしたろう。もう行くのか?頑張って行けよ、宗谷岬。車に気をつけてな」
豆壱郎:「お世話になりました」
僕はこのおじさんのことを、きっと一生忘れないであろう。
苫小牧に着いたのは午前9時15分。本来ならば、八戸港を出航したあと、船は午前6時30分にここ苫小牧に着くはずだった。世の中、なかなか自分の思い通りにいかないものだ。あんな真夜中に降ろされ、ここまで予定より3時間遅れでしかも70キロ近く余分な距離を走らされるハメになろうとは…。しかし、そのおかげで、親切なおじさんに会うことができた。人生なんて+-(プラマイ)ゼロなのである。
午前11時25分、昼めしには少し早い気もするが、朝も早かったので、食堂に入った。なにしろ北海道は広いので、食べられるうちに食べておかないと、今度いつ食堂を見つけられるかわからない。
雨はようやく止んだ。ペダルはほとんど機械的に回しているだけだ。道は思いっきり単調である。身体のほうは、東北あたりから少し左足の付け根が痛むようになってきた。僕にとって、日本縦断といういまだかつて経験したことのない長期ツーリングだが、いよいよゴールが近くなってきて、身体のほうもかなり擦り切れてきたようだ。このまま順調にいけば、22日か23日には宗谷岬にたどり着くことができるだろう。あと4~5日もってくれればいい。僕の身体よ!もう少しの辛抱だ。耐えてくれ!
岩見沢市を少し過ぎたところで、空腹に耐えきれず、きょう3度目の食事をした。まだ午後2時半だというのに。だんだん食事のインターバルが短くなってきている。九州を走っていたころは、こんなことなど想像もしていなかった。あのころは逆に、まともに食べ物が喉を通らなかったものだ。おそらく僕の身体が、急速にエネルギーの補給を行おうとして、食べ物を要求しているのであろう。そして、体力の低下分をも補おうとしているのである。そういえば、かつて相模湖畔で食事中に口の中を噛んでしまったことがあった(8月12日参照)。あのときは、ケガの回復遅延をかなり心配していたにもかかわらず、翌日にはすっかり治っていた。毎日身体を限界まで使っていることにより、新陳代謝が活発になっているのかもしれない。こうして、人間が自分で自分の身体を一所懸命守ろうとしているのは素晴らしい。生命の神秘だ!
…などと、少し大げさに考えすぎか? 単調な北海道の道は、身体はペダルを回すのに忙しいが、頭の中はけっこう暇なので、いくらでもアホな事を考えられる。アホな事を考えているうちに、美唄市に着いた。あらかじめ、「革命的なホテル探しの奥義」を使って予約しておいた美唄のホテルを探した。すぐ見つかった。午後4時チェックイン。
30年以上過ぎた現在も
ホテルはまだ健在のようである
(2014年)
隣にスーパーがあったので、入って下着を買った。なにしろきのうから今朝にかけて、かなり雨の中を走ったので、背中のすき間から泥水が侵入して、パンツはドロドロである。こんな天気だから洗濯しても乾くかどうかわからない。
下着を買った後、食事をした。時刻は午後6時20分。きょう4度目の食事である。今食べると夜また腹がへってくるかもしれないが、そのときはそのときだ。今の空腹をなんとかするのが先決。
8月23日に宿泊の予約を入れてあった、塩狩温泉ユースホステルに電話をして、予定より3日早くなったので宿泊日を繰り上げて欲しい旨を伝えた。これによって、明日はどうしてもユースホステルまで走らなければならなくなった。毎日のホテル探しも大変だが、決まった場所への到着の義務というのもつらい。今回の旅は毎日ハプニング続きで、事前に立てた綿密な計画など全くの無駄骨だったが、そのために毎日の風来坊のような生活に慣れてしまい、逆に予定が決まってしまうと何か拘束されているようで苦痛になってくるのである。まったく勝手なヤツだ。
自動販売機でビールを買って飲んだ。まずい。こんなホテルのシングルルームで独り飲むビールなど、ちっともおいしくない。寂しい。