徳島で夏といえば阿波おどり。お盆の4日間は浮き世のすべてを忘れて踊り狂う。徳島の人間にとって、この4日間は特別だ。この日のために一年があると言ってもいい。カネ、大太鼓、締太鼓、三味線、笛などの鳴り物がかもしだす独特のリズムが、阿波っ子の心を狂気の渦中へと引きずり込む。
一つのことに熱中して、ほかのことが見えなくなる人(転じて、阿波おどりのことしか頭にない人)のことを、徳島では“天水(てんすい)”と呼んでいる。天水とは、もともと雨の水のことであるが、雨の水さえあればあとは何もいらない、踊ることができさえすればいい…ということなのだろう。
僕が天水たちの仲間入りをしたのは、二十歳の夏だった。それまでは、いわゆる「見るアホウ」だったのだが、あのリズムを聴いているうちに、からだが勝手に動きだす。僕のからだの中を脈々と流れる阿波っ子の熱い血が、ついには抑えきれずに噴き出した。一度踊りだすともうやめられない。楽しくってしょうがない。僕にとって阿波おどりはもう麻薬みたいなものである。
実を言うと、この“麻薬”入手の背景には、日本縦断がからんでいる。そもそも二十歳の夏は、自転車日本縦断完走の記念すべき夏となるはずだった。ところが、出発をいよいよ2日後に控えた夜、突然、自転車のフレームがポッキリと折れたのである。あまりの突然の出来事になすすべもなく、計画はすべて中止、出発は翌年に延期となった。
呆然とした。出発直前でモチベーションは最高潮に達していた時期だっただけに…。
この蓄積されたエネルギーをどうやって発散させよう。もちろんすべて発散させられるはずもないが、阿波おどりによって、少なくとも4日間だけは忘れることができそうだ。終わったあとはまた一からやり直せばいい。そう思った。
僕は徳島県人である。そして、日本人である。なんだか日本が好きだ。いま、自転車で長距離旅行に出かけるサイクリストの中で、海外へ遠征する人は少なくない。時代はどんどん世界へと広がっている中、いまどき日本縦断など、やることが小さいと嘲笑されるかもしれない。でも僕は、この時点で海外に興味はなかった。とにかく日本が走りたかった。日本の空気を体感したかった。
毎年、阿波おどりの季節が来ると、日本縦断を思い出す。あの夏に流した汗は、踊りで流す汗と、きっと同じ色をしていた、そう思えてならない。