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番外編 富士スバルライン②

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1982年7月30日

寝ぼすけの豆壱郎も、遊びに行くとなるとなぜか早く目が覚める。いよいよ「タテ」に向かう日の朝が来た。とりあえず、今日の予定は富士宮市のホテルまで行くことだ。

当時の愛車の赤いスバルレックスコンビ(56年式)は、排気量550ccの軽自動車である。これで、これから富士山の麓まで、高速道路をいくつか経由して陸路を走ろうというのだ。徳島から富士宮までゆうに550kmはある。とても楽をして移動できる距離ではないし、もちろん車もそういう車ではない。
「え~~?軽自動車でそんなところまで?」
と、よく言われるが、僕はいつも長距離を走るときは、
「よしっ! いっちょ頑張るか!!」
と、気合いを入れるのである。もちろん大きな車でゆったりと走るほうがナンボか楽には違いないが、軽自動車でも意外と気合い一発でどこまででも行けるものである。第一、昨年僕は自転車で日本縦断をしているのだ。たかが550kmぐらい、それも車で行くならどおってことはない。
(ちなみに、このレックスコンビは富士重工スバル自動車製であり、これから行こうとしているところは、富士スバルラインである。べつにシャレではないのであしからず)

早朝に自宅を出発した。まず淡路島経由で神戸へ。そして、阪神高速から名神、東名高速と、順調に車を走らせた。ただ、さすがに軽自動車。車速が100km/hを超えると徐々に水温計が上がってきて、オーバーヒート気味になってくるので、定期的に80km/h程度まで落とす必要があり、やはり思ったほど快調にとはいかないようだ。また、僕の車にはエアコンというものがついていない。7月30日は完全に真夏なので、とにかく車内はかなり高温になっている。そこで、窓を開けて走るのだが、窓を開けたまま高速走行をするとどうなる?ものすごい風切り音がする。さらにエンジン音も尋常ではない。ラジオやカーステレオなど、ボリュームいっぱいに回してもほとんど聞こえない。走行中は暇だから、歌でも歌いながら走るが、自分の声さえ聞こえないのだ。というわけで、僕は「うるさい」か「暑い」のどちらかを選択しなければならなかった。(といっても、実際はうるさいし暑い!)

富士山地図1

夕刻、ようやく富士宮市に到着。予約しておいたホテルを探す。ほどなく見つかった。荷物を下ろして、ロビーへ。そしてフロントへ。
豆壱郎:「予約しておいた豆壱郎ですが…」(注:豆壱郎はハンドルネームです。実際には本名を名乗ってます)
フロント:「豆壱郎様ですね。少々お待ちください。えー…」
と言って、フロントは予約の確認中。
フロント:「豆壱郎様、豆壱郎様、まめ…、????」
フロント:「あ?…豆壱郎様は7月31日のご予約になっておりますが?」
豆壱郎:「え゛??…そんなはずないでしょ?確かに電話で7月30日に予約しましたよ。なにかの間違いじゃないんですか?」
フロント:「いや、しかしこちらの記録では7月31日と…。むむむ…」
と言って、フロントは狼狽。こっちだって、ここまで来て泊めてもらえないとなると大変だ。思えば、ここからすでに今回の悲劇は始まっていたのかもしれない。(謎)
フロントは3人ほどで、何やらコソコソと相談している。どうも部屋の調整をしているようだ。そして、相談はまとまったようで、
フロント:「あ、豆壱郎様、お部屋をご用意させていただきました。こちらどもの手違いで申し訳ございません。あいにくシングルはふさがっておりまして、こちらのツインルームをご利用ください。もちろんシングルの料金にさせていただきます」
と、ツインルームのキーを渡してくれた。

ホテルのツイン

おお、なかなかに良い部屋じゃないか。これは悲劇ではなく、ラッキーだったのかもしれないぞ。しかしこのふたつのベッドが虚しい。一人旅が寂しいのはよくわかっているが、シングルルームに一人で泊まるのとは比較にならないほど、ツインルームの一人というのは寂しいものだ!

 

さあ、いよいよ明日は富士山五合目にアタックだ。朝は早めにホテルを出るつもりである。鋭気を養うため、きょうは素早く寝てしまおう。
…と思ってはいるのだが、いつものことながら、幼稚園児の遠足前夜のごとくなかなか眠れないんだよなー、これが。

月日 本日の行動
7月30日 徳島(車で移動)----名神、東名高速道----富士宮 ホテルで宿泊
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