1981年7月30日(木)
-晴れ-
黒電話のけたたましいベルの音で目が覚めた。
「食事の用意ができています」
と、女将さんの声。寝ぼけまなこで時計を見ると午前8時。うわっ!また寝過ごした。
慌てて着替え、1階まで降りて行った。
用意してくれていた朝食は、ご飯、味噌汁、玉子焼き、塩鮭、海苔、漬け物などの、ごくごく一般的な和食の朝食だった。
朝食を済ませて、8時55分出発。きのう走った5キロの道を引き返す。さすがに高原の朝は涼しく、快調にペダルが回る。
加久藤峠の登りにさしかかったとき、見覚えのあるサイクリストを発見。きのう写真を撮ってもらった帰省学生だ。こんなところで再会するということは、むこうもかなりスローペースで走っているということになる。聞いてみると、昨夜はえびの高原でキャンプをしたらしい。しばらく一緒に走るが、やはりペースが合わず僕が先行する。先行はしたものの、こっちも登り坂になるとこのミニベロ(小径ホイール自転車)が足を引っ張るため、ちっとも前に進まない。もともと僕は登り坂が好きなほうで、林道ツーリングなど好んでよく走ったものだ。しかし、この16インチの小さな自転車は、どうも山岳向きではないらしく、山道大好き人間である僕でもかなり苦戦を強いられている。しかも、吐き気のほうは良くなるどころかますますひどくなる一方だ。
加久藤峠のトンネルの入り口で休憩しているうちに、帰省学生に追い抜かれてしまった。その後も何度か走っては休み、また走っては休みと、ただでさえ遅いペースがますます遅くなって、もう二度と彼に追いつくことはなかった。
峠を過ぎれば、ようやく待ちに待ったダウンヒルである。しかし、爽快な下りを期待していたにもかかわらず、まったく加速しないのだ。なんでや~~~!?
登りで全然進まないのだから、せめて下りだけでも楽しませてくれたっていいじゃないか。もちろん、ハブにゴミが溜まっているとか、そういったメカ的なトラブルで進まないのではない。たぶん16インチという小径ホイールの力学的な特性が原因のようだ。あまり難しいことは僕にはわからないが、苦しい思いをして登った坂をせめて下りだけでも楽しみたいというささやかな願いを見事に裏切ってくれた。フリーホイール(後ろのギヤ)のジャージャーという音がやたらとうるさく山あいに響き渡る。おまけに、ホイールベース(前輪軸と後輪軸との間隔)が短い分、大変不安定である。もともとハンドルが軽く、慣れないとフラフラするので、下りでスピードが出るとかなり恐ろしい。ちょっとでも気を抜いたら激しく転んでしまいそうだ。…あ?待てよ。ということは、下りであんまりスピードが出ないんだから安全ということか。
人吉ループ橋
(当時の写真ではありません)
大きな「人吉ループ橋」(この当時は東洋一の大きさを誇っていたが、後にもっと大きなループ橋が他県に建設された)をグル~ッと回って、やがて人吉市に着いた。しばらく街中を走り、また山間部に入る。球磨川沿いの道を、景色を眺めながら走ると、しばし暑さを忘れることができる。本来なら球磨川下りなどをして楽しめたところだが、観光目的で走っているのではないため、指をくわえて通り過ぎるだけだ。
午後1時55分。大衆食堂に入って、そばを食べる。暑いので、どうしてもアッサリしたものや、麺類ばかりに目が行ってしまう。もっとしっかり食事をとって体力をつけないと、これからの長い道中を走りきることはできない、とは思いつつ…。
「予約してないんですが…」
道中、何度このセリフをしゃべったことやら…。
八代市到着。当初の予定では、ここからフェリーで天草に渡り、天草五橋を通って今度は島原に渡り、熊本県の長洲町に渡るという、船ばかりのコースをとるつもりだったが、47都道府県を全て通過するという当初の目標というか野望達成は不可能と判断し、断念することになったので、無駄な回り道も避けることにした。
昨夜立てた計画では、この八代で宿を見つけることになっていたのだが、まだ少し時間が早いので、もう少し走りつつ宿を探すことにする。
ところが、あてもなく探しているうちに、どんどん街をはずれていく。これ以上郊外に行くともうホテルも旅館もなくなるぞ、と思ってはいたのだが、案の定、宿が見つからないまますっかり郊外になってしまい、もうエッチホテルぐらいしかない。
しかたなく宇土市まで走ることにした。
かなり暗くなったが、駅前を中心に宿を探す。しかし、やっぱり見つからない。ないはずはないのだろうが、どうしても見つけられない。
え~い!こうなったらあと12キロ、熊本市まで走ってやろうじゃないか。
午後8時30分、熊本着。熊本○○ホテルというビジネスホテルの看板がすぐ目についた。空いていればいいんだけれど。フロントでおそるおそる、
豆壱郎:「すいません。予約してないんですが、シングル空いてませんか」
フロント:「空いてますよ。どうぞ」
よかった。ほっとした。もうきょうはこれで走らなくてもいいんだ。レジスターカードに名前を記入しながら、安堵感に浸った。
豆壱郎のちょっと一言
この日以来、僕はビジネスホテルというものをすっかり気に入ってしまい、その後、全行程の約半分はビジネスホテルを利用することになる。
シングルルーム610号室
610号室。ルームキーはオートロック。うっかりキーを持たずに外に出ると、中に入れなくなる。入口すぐ右側には、ユニット式のバストイレ。ベッドはシングルとはいえセミダブルほどの広さはある。テーブルの引き出しの中には、ホテルの便箋と、なぜか新約聖書が一冊。テーブルの上には、お湯の入ったポット、コップ、緑茶のティーバッグ。そしてコインボックスの付いた14インチのテレビ。100円で2時間見ることができる。2チャンネルは成人向けビデオになっていて、この場合300円を投入してたった30分しか映らない。(ゲッ!100円玉をずいぶん消費してしまった!)
さすがに腹がへったので、まず1階のレストランで食事をした。そのあと部屋に戻り、たまっていた洗濯をした。あしたの朝までに乾くだろうか。空調の吹き出し口の真下にロープを張って、洗濯物を干した。
しばらくテレビを見たあと、風呂に入った。日焼けで顔の皮がむけてヒリヒリする。
豆壱郎のちょっと一言
豆壱郎は、日焼け対策は全然頭の中になかった。今なら紫外線の害について世間ではかなり知られているので、日焼け止めは必須アイテムだが、この当時はそれほど騒がれてはいなかった。風呂からあがって、ベッドの上にドタッと倒れる。疲れた。長い一日だった。なんでこんなシンドイことをしなけりゃならないんだ。これほどつらい思いをしてまで日本縦断する価値があるのか。実際この苦しさは予想以上だ。これ以上走り続けて、北海道まで行く自信は僕にはない。もうやめてしまおう。あした、自転車をたたんで、熊本駅から列車で帰ろう。しょせん僕には無理だったのだ。身の程知らず。バカ。