日本最北端。
ここより北に、もうペダルをこぐ土地はない。
1981年8月22日(土)
-くもり時々雨-
午前7時起床。「かわや」に行って用をたしながら、窓から外を眺めると、今にも降り出しそうに、黒い雲は低く垂れこめていた。風が流れる。グズグズしていると、これは確実に降ってくるぞ。早々に出発しなければ。
豆壱郎:「すいませーん」
あくびをしながら旅館のおばさんが出てきた。
旅館のおばさん:「もう行くの?…2,900円」
一万円札を出すと、またけげんそうな顔で、
旅館のおばさん:「こまかいのないの?」
豆壱郎:「ないんです」
旅館のおばさん:「…ちょっと待って」
と言って、奥からおつりを持ってきた。
午前8時出発。おそらくきょうが日本縦断の最後の日となるだろう。目的達成まであと120キロ。さまざまな思いを胸に、僕はペダルを回しはじめた。背中からは台風が近づいている。道中2度目の台風だ。1度目は九州の熊本。あのときは、寝ている間に通り過ぎていたが、今度はまともに食らいそうだ。雨の落ちてこないうちに少しでも距離を稼いでおきたかったが、小頓別付近でとうとう降ってきた。小雨だったので、ひょっとするとすぐやむかもしれないと思い、しばらくそのまま走ったが、やむどころかますます強くなるばかりなので、仕方なくカッパを着た。ところが、カッパを着て走り出すとまたやむという意地悪な天気だ。脱ぐとまた降り出すかもしれないので、そのまま走った。
道は、山の中をくねくねして、アップダウン、向かい風、追い風を繰り返した。頓別川沿いに、小頓別、上頓別、中頓別、下頓別と通り過ぎ、浜頓別に着いたのは午前11寺10分だった。昼食には少し早いが、食堂を見つけたので入ることにした。ここを過ぎるともう食堂はないような気がしたからだ。(というのは表向き。じつは、ただ腹がへっただけ)
食堂を出たら雨はとりあえずやんでいたので、カッパをバッグにしまった。浜頓別の食堂をあとにしたのは午前11時半。宗谷岬まであと60キロ。空を見上げると、黒い雲の流れがとても速い。幸いにも、雲の流れる方向は、僕の進行方向と一致している。追い風に乗って、僕はギヤをトップに入れた。ここぞとばかりにペダルをガンガン踏みまくった。このチャンスを逃す手はない。1分1秒先の自分を保証できない以上、稼げるときには稼いでおく。僕がこの旅で学んだ教訓である。だが、追い風とはいえやはり60キロは長い。走れど走れど目的地は見えない。道の右側には、荒れて白波の立っているオホーツク海が、どす黒く、白い歯を出して不気味な笑みを浮かべている悪魔のように見えた。ある種の恐怖を覚えた。
うしろから、ドドドドドッとバイクの音。3人組だ。追い抜きざまにピースサインを送ってくれたのでこちらもピースサインで返す。自転車もバイクも関係ない。北海道を走る旅人はみんな仲間だ。しばらく走っていると、今の3人組が、道路の横の原野で記念写真を撮っている。手を振って挨拶をしながら通り過ぎた。さらに北上を続ける。
ドドドドッとまたさっきの3人組ライダーに抜かれた。数分後、今度はガソリンスタンドで給油をしている例の3人組を発見。またまた手を振ってお先に行かせてもらう。宗谷岬までは完全に一本道。何度でも抜いたり抜かれたり。
午後2時、目の前の海岸に三角形をしたモニュメントが…
日本最北端の地
日本最北端の地、宗谷岬に到着したのだ。ここより北に、もうペダルをこぐ土地はない。ついに僕は日本列島を走りきったのである。
祝!
日本縦断完走
そうだ。まず、家と会社に報告しなければ。日本最北端の電話ボックスから徳島の我が家へ。そして、その後会社へ。電話ボックスに100円玉を投入し、
豆壱郎:「いま宗谷岬に着きました。ここが日本最北端です」
電話には、会社の社長の奥さんが出た。
奥さん:「ああ、着いたの?それはよかった。ちょっと待って。今あなたの部署につなぐから」
豆壱郎:「いや、もうつながなくていいから…」
と言いかけたが、時すでに遅し。距離感を把握していないようだ。到着の報告だけでもうこっちはいいのに、僕の所属部署につないでくれた。慌てて100円玉をもう1個投入した。受話器から部署の先輩の声。
先輩:「宗谷岬に着いたの?おめでとう。そこの電話番号わかる?」
豆壱郎:「いや、公衆電話だから…」 そこまで言ったところで電話は切れた。先輩は何を言いたかったのだろう?大事なことでもあったのだろうか?