自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

Route-6 東北①

全然涼しくない東北。おまけに登り坂。
直射日光との激しい戦いの日々。

自転車も、エンジンである僕の身体も、そろそろヘタリが出てきた。だが、ここまで来たらもう走り続けるしかない!

東北

HOME > Route-6 東北> 1981年8月15日

タイヤ交換。
ピットインもやむを得ず。

1981年8月15日(土)
-晴れ-

少し寝過ぎてしまった。午前9時に、この民宿の隣にくっついている食堂のほうへ行って、朝食を食べる。納豆が小皿に入っていた。ほう、これがうわさに聞く「納豆」というヤツか。僕は生まれてこのかた21年間、納豆というものを一度も食べたことがない(豆壱郎だから共食いになるか…??)。関東地方では、朝食に納豆は常識らしいが、関西や四国は関東ほど常識的には食べない。これはひとつ話のネタに食べておかなければ…。でも、どうやって食べるんだろ?そう言えばたしか、テレビドラマの朝食シーンで、納豆をご飯の上にかけて食べていたような記憶がある。そうかそうか、ではちょっとマネしてみよう。
「……………………。」
なんだこれは。口の中で、ぬちゃぬちゃして、いつまで噛んでもぬちゃぬちゃ、ぬちゃぬちゃ!…あかん!これは、僕の口には合わん!
結局、半分残してしまった。(豆壱郎は、未だに納豆が食べられません)

朝食も済んでいざ出発というときになって、自転車の異変に気がついた。タイヤのサイドが1センチぐらい切れて、そこからチューブがはみ出しかかっている。これは大変だ! もしかしたら、きのう飯坂温泉でパンクした際に、ザクッとやってしまったのかもしれない。
民宿のご主人に、この近くに自転車屋はないかと訊ねたところ、ご丁寧にも、地面に地図を描いて教えてくれた。早速その場所に行ってみると、たしかに自転車屋はあった。
…うん。たしかに「自転車屋」だろう。
…「自転車屋」かもしれない。
築70年ぐらい経っていそうな民家の暗い玄関に、数台の自転車が置いてあって、おそるおそる覗いてみると、この建物と同い年ぐらいかと思われるような老夫婦の姿が…。
すんません!700Cという特殊なタイヤを置いてあるようにはとても見えまシェンでしたー!
というわけで、失礼ながら、中にも入らずすぐ引き返した。

 

予想外の大きな出費。でもしかたがない。

福島市街地まで戻り、さっきよりは新しそうな自転車屋を見つけ、今度はためらわず中に入っていった。しかし、
「あ~、このタイヤはウチには置いてないなあ。そうだ、あそこなら置いているかもしれない。ショップを教えてあげよう」
と言われ、言われるままにそのサイクルショップを探しに走った。「Y田輪業」というところらしい。教えてくれた道は、よそ者の僕には少々わかりにくかったが、大通りから少し入ったところに、そのショップを見つけた。

豆壱郎:「すいません。タイヤありますか?」
ショップ店長:「はい、どんなタイヤかな?」
豆壱郎:「700C×25Cなんですが、サイドが切れちゃって…」
ショップ店長:「あーー、ほんとだ。こりゃひどいわ。…どっから来たの?」
豆壱郎:「徳島です。日本縦断の途中なんです」
ショップ店長:「日本縦断?へぇ~っ、そりゃすごい。え?このタイヤでずっと来たの?」
豆壱郎:「ええ。でも、もう何度もパンクして、つぎはぎだらけですよ」
ショップ店長:「そりゃそうだろう。25Cじゃ細すぎるよ。28C…いや、32Cにしなさい」

そう言われて、32Cを買った。数字が大きくなるほど太い。つまり、最初のタイヤより2まわり太くなったわけだ。早速取り付けてみた。すると、サドルバッグが完全にタイヤに触ってしまった。太くなった分だけ高さも高くなったからである。

豆壱郎:「あ~。おじさん、だめだ。バッグとタイヤが触っちゃってるよ。いや、じつはキャリヤーが壊れてて、バッグが下に下がってるんだよね…」
ショップ店長:「 ああ~、そうか、う~ん…。その手のキャリヤー、今ウチに置いてないんだ。どうしようか…。ちょっと、荷物が重すぎんじゃない?」
豆壱郎:「それは言えますね」
ショップ店長:「背中に背負うってのはだめ?」
豆壱郎:「以前はそうしてたんだけど、苦しくて…。でも、この際しょうがないですね」

デイパックというわけで、デイパックまで買うことになってしまった。全部背負うと苦しいので、荷物を半分ずつ入れることにする。サドルバッグの荷物も半分になったことでずいぶん軽くなり、あまり下に下がらなくなったため、結果的にタイヤには触らなくなった。

この店には、Hサイクル製の16インチ・ミニベロが壁にかかっていた。Hサイクルは、オリジナルメーカーとしては有名な製作所である。ミニベロが急に懐かしくなって、
豆壱郎:「じつは日本縦断に出た当初は、これと同じようなミニベロだったんですよ。メーカーは違うけど…」
と、しゃべってしまった。
豆壱郎:「K製作所って、ご存知ですか?」
ショップ店長:「ああ、聞いたことあるなあ」
豆壱郎:「僕の行きつけのショップがそこにフレームの製作をよく依頼していて、僕のミニベロのフレームも作ってもらったんですが、結局は僕の力不足で沖縄から四国までしか走れなくて、徳島からロードに乗り換えたんです」
ショップ店長:「そうだろうな。16インチじゃ長距離は無理だよ」

このショップのご主人とはついつい長話をしてしまい、時計を見ると午前11時半。うわっ!昼が来る。時間を忘れてのんびりしすぎた。

帰り際、ご主人に「スポルティーボ」という名のとっても酸っぱいキャンディーを頂いた。ビタミン入りのスポーツキャンディーだそうな。一袋に20個ぐらい入っていただろうか。

「お世話になりました」
慌てて出発。きょうは天童まで走るつもりでいたのに、予定が大幅に狂ってしまった。どこまで走れるかわからないが、行けるとこまで行ってみる。それにしてもきょうは暑い(いや、きょう暑い)。こういう晴天の日に限って、登り坂が多い。お天道様はそんなに僕を苦しめてうれしいのか。それとも、僕を下へ下へと引っ張っている地球の引力が悪いのか。たいした勾配でもないのに、自分の体重と自転車と荷物を合わせて70kgにも満たない小さな物体を、標高にしてたかだか数百メートル持ち上げるのにどれほど体力を使うことか。なんか泣き言ばかり言っているが、ほんとは僕は山岳サイクリングは得意なほうだし、高校のときは峠ばかり登っていた。しかし、こう暑いとやたらと体力を消費するし、いい加減ウンザリだ。

山形地図

ようやく東栗子トンネルに着いた。何キロあるか知らないが、ずいぶん長いトンネルだ。ここを抜けると福島県と山形県との県境がある。県境を過ぎたらすぐまたトンネル。西栗子トンネルだ。さっきの東栗子トンネルよりもまだ長い。トンネルの中は涼しくていいが、暗くて圧迫感があって怖い。特に横をトラックなどが通り過ぎると、巻き込まれそうで生きた心地がしない。

トンネルを抜けると、そこは雪国だった…じゃなくて、爽快なダウンヒルだった。ミニベロと違って、ロードレーサーでの下りは本当に爽快だ。

米沢市、南陽市、上山市を通り過ぎ、山形市に着いたのは午後6時を回っていた。予定していた天童まであと12キロ程で、行こうと思えば行けない距離でもないが、もう走る気力もなくなっていたので、この辺でホテルを探すことにした。それでも、出発したのが昼前だった割にここまで102キロを走っている。ミニベロだと丸一日かけて80キロ程度しか走れなかったのだから、いかにロードが楽に距離を稼ぐことができるかということがよくわかる。自転車の差というのは大きい。

「ビジネスホテル○嶋」というのを発見。今夜はここに泊まることにした。
夜、ふらっと外に出る。ビジネスホテルに泊まったときは、夜は洗濯以外にすることがなくて暇なので、よく外に出て、街を歩き回ることが多い。果物屋さんがあったので、リンゴをひとつ買った。ホテルに帰ってシングルベッドに身体を横たえながら、リンゴを丸かじり。やはり絵にならない。(T_T)

本日の走行距離: 102km
累計の走行距離: 1,927km
累計走行距離インジケータ

沖縄
(スタート)

東京
(中間点)

宗谷岬
(ゴール)
現在地
本日の出費 合計18,280円
民宿 3,800円
タイヤ 5,000円
デイパック 3,000円
パンク修理用パッチラバー 100円
めし 400円
缶コーヒー 100円
缶コーヒー 100円
ジュース 100円
コーヒー 280円
ビジネスホテル 4,400円
めし 350円
電話 100円
リンゴ 250円
テレビ 100円
ひげ剃り 200円

※金額は1981年当時の実際の金額です。

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