1981年7月31日(金)
-くもり一時雨-
朝、テレビのニュースを見てはじめて台風が来ていたことを知る。幸運なことに、昨夜寝ている間に熊本を通過してくれていた。
熊本のビジネスホテルにて
写真を見ての通り、全然楽しそうな表情ではない
昨夜は、もう自転車をたたんで帰ることしか頭になかったが、一夜明けると少し冷静になって、
「まあ待て。まだ出発したばかりだ。ここで挫折して帰ったりすると、それこそみんなの笑いものだぞ」
そうだ。必ず宗谷岬まで行ってやるぞと、大言きって出て来た手前、おめおめ帰るわけにはいかない。出発前、いろんな人から激励も受けたが、中には、
「おまえ、本当に大丈夫なのか?そんな細いからだで」
という意見もずいぶんあった。もしここで、やっぱりだめでした…などと言って帰ったならば、
「それ見たことか」
「ふんっ、どうせ無理だと思った」
と言われるのは火を見るより明らかだ。そんなこと言われた日にゃ、悔しくって夜も寝られない。そんな悔しい思いをするくらいなら、少々苦しくても我慢して走るほうがマシだ。一応まだ足は動いている。前に向かってペダルを回している。断念するのはこの足が完全に息の根を止めてからでも遅くはない。台風の余波の残った曇り空の下、僕は再びペダルを回し始めた。
市街地は嫌いだ。道がわからない。田舎なら太い道を走ればなんとかなる。都会へ行くほど太い道ばかりで複雑だ。地図を見ても無駄。現在位置すらわからないのだから。しかし、熊本市はいつの間にか街中を脱出していた。
ゆるやかな登りが続く。道路には、街路樹の葉や枝、ゴミなどが激しく散乱していた。ゆうべの台風の傷あとだ。僕がホテルで何も知らずにぐっすりと眠りに落ちているころ、外は暴風雨が吹き荒れていたというわけだ。今もまだ時おり強い風が吹き、天候もぐずついていて、すっきりしない。まるで、僕の心の中を映しているみたいだ。
大津町というところでレストランに入った。ちょっと高そうだけど、店を選ぶ余裕などありはしない。どこでも空いていれば入る。中は少々暗いが広い。しかし、イスではなくレザー調のソファーだ。お尻がズボッと沈み込んでひどく食べづらかった。
店を出たところに公衆電話があったので、僕が勤めている徳島の会社に電話をした。たまには職場にも連絡を入れなくてはならない。長距離なので、十円玉がマシンガンのように落ちていく。短い時間で経過を報告するには限度があり、現在位置と、予定通りに走れていないということを伝えるのが精一杯だった。
豆壱郎のちょっと一言
1981年当時は、携帯電話はまだ存在していない。日本で初めて可搬型の無線電話(ショルダーホン)が登場したのは、これより4年後の1985年。しかし今の携帯電話とは似ても似つかないほど巨大で肩掛けタイプ。重さ約3kgもあったという。
午後3時頃、雨が降ってきた。慌ててカッパを着る。この旅初めての降雨である。僕はカッパを着て走るのは嫌いなのだが、これからひと月もの間、晴れの日や曇りの日ばかりのはずがないので、嫌いなどとは言っていられない。幸い1時間ほどで雨はあがった。
一の宮町の、やまなみハイウエイの入り口で、瀬ノ本高原ユースホステルに電話をかけて、きょうの宿泊が可能かどうか尋ねると、予約で一杯だと断られた。このユースホステルには1977年に一度泊まったことがある。ここのペアレントさん(管理人)はたいへん面白い人で、もう一度お会いしたいと思っていたのだが、残念だ。
ここから瀬ノ本高原までの約20キロは、もう勘弁してくれと言いたくなるほどアップダウンを繰り返し、疲労困ぱい、頭もボーッとして、ついでに空もボーッとして、いま何時なんだか、自分がいまどこを走っているんだか、感覚が麻痺してしまっていた。
(当時の写真ではありません)
ようやく見覚えのある赤い屋根、三愛レストハウスだ。広々とした高原にポツンと立っているのでよく目立つ。中学校の時の修学旅行でもここを通過した。ここから西に1キロほど行けば瀬ノ本高原ユースホステルがあるのだが、満員だと断られたのでしかたがない。
「いま断水中でお風呂が沸かせないけど、かまいませんか?」
民宿の奥さん。申し訳なさそうに話してくれた。
三愛レストハウスのすぐ近くで民宿の看板が目に入った。おそるおそる入り口を開け、尋ねてみた。
豆壱郎:「すみません。一晩泊めてもらえませんか?」
民宿の奥さん:「いいんですが、いま断水中でお風呂が沸かせないんですよ。ある程度はタンクに貯水してあって、食事ぐらいなら作れるんだけど、お風呂を沸かすほどはなくて…それでも構いませんか?」
豆壱郎:「泊めてもらえるんなら、それだけでいいです」
正直、僕にはもう他の宿を探すほどの気力は残っていなかった。とにかくもうペダルは止めたかったというのが本音である。
この民宿は、山の斜面にひと部屋ひと部屋独立して建てられている。まるでエッチホテルみたいだ。奥さんに案内された部屋は、一番高い所にあって、窓の外はすぐ山の斜面が見えた。
疲れて、テレビもつけずただボーッと座っていると、おそらくここの娘さんであろう、中学生ぐらいの女の子が、コーヒーを持って来てくれた。しばらくして今度は奥さんが、食事の用意ができたことを知らせに来てくれた。降りて行って、一番おもてに近い部屋に入ると、座卓の上にびっくりするほどの豪華な料理が並んでいる。
『これ、全部僕が食べる分?』
もちろん、きょうの客は僕一人なのである。
結局全部食べきれなかった。ああモッタイナイ。
再び部屋に戻ると、布団が敷けていた。寝っころがっていたら、奥さんが来て、
「お風呂行きましょう。この先にホテルがあるんです。わたしら家族もこれからそこへ行くので一緒に行きませんか?」
と言ってくれたが、
「いや、きょうはもういいです」
と断ってしまった。正直、もう動きたくないのである。それほど疲れていた。
もうこんな生活やめたい。あしたこそ本当に自転車をたたんで帰ってしまおうか。九州に上陸してからまだ3日目である。こんな状態ではとても完走なんかできっこない。マジで自信がなくなった。もう何も考えたくない。とにかく今夜はもう寝よう。
寝ようとすると、身体のあちこちがカユイ。ベタベタする。やっぱりご家族と一緒にホテルの風呂に入ってきたらよかった。