やはり徳島の自宅に立ち寄ったのは失敗だったかも知れない。完走への執着が、日を追うごとに減少してゆく。
1981年8月7日(金)
-くもり一時雨-
市街地を苦手とする僕でも、京都の町は非常にわかりやすい。午前8時20分にチェックアウトしたあと、ビジネスマンがせわしなく行き交う朝の雑踏の中に身を投じた。いつもなら市街地をウロウロして、なかなかお目当ての道を探せないでいるのだが、きょうは苦もなく1号線に出られた。
早速登り坂にさしかかる。京都を出ようとすると、どちらを向いても登り坂(京都は盆地)。しかし、朝食をまだ食べていないので、どうも足に力が入らない。午前9時10分、空腹に耐えきれずに喫茶店に入った。モーニングサービスのみでまた走り出す。こんな食生活でよくもつものだ。などと自分で感心してもしょうがない。
滋賀県大津市に入る少し手前で、僕の前を一人のサイクリストが走っていた。追いついて、後ろから声をかけた。
豆壱郎:「こんにちは。どこまで行かれるんですか?」
サイクリスト:「これから敦賀まで行って、そこからフェリーで北海道に渡ります」
旅に出ると、あまり自分のお国なまりでは話さないもので、ふつう、関東アクセントの標準語をしゃべる人が多い。というかそのほうが無難である。そりゃあ、各々が方言でしゃべりだすと、通じないぞ。かくいう僕もつとめて標準語をしゃべるようにしていた。このサイクリストも標準語でしゃべっているので、お互いどこの出身かはわからない。
サイクリスト:「チェーンがオイル切れで、キコキコ言ってるんですよ。どこか自転車屋はありませんかね」
と訊かれたが、こっちもよそ者。知るわけがない。
豆壱郎:「さあ、…大津市内に入ればあるんじゃないですかね?…じつは、僕の自転車もキコキコ言ってるんですよ」
出発した当時は、荷物の中にちゃんと自転車用のオイルを用意してあったのだが、徳島で自転車をロードに交換した時点で、荷物を減らすため置いてきてしまった。8月5日のページに書いてあるとおり、荷物の取捨選択時に『なければ不便』という物まで捨てたため、今、こうして不便している。
このサイクリストとはいいかげん会話を交わしたあと、
豆壱郎:「ところで、どこから来たんですか?」
と訊ねてみたら、
サイクリスト:「京都です」
だって。
豆壱郎:「な~んだ、同じ関西人やったんか。僕は徳島なんやけどね」
関西系同士で無理して標準語をしゃべっていたというわけである。出身がわかった途端、突如として二人とも関西弁になったりして…。
琵琶湖畔
(当時の写真ではありません)
彼とはペースが合わないため、別々に走る。それにしても、きょうはサイクリストによく出会う。九州、四国ではパラパラぐらいしかいなかったのに、ここまでもう数十人すれ違っている。やっぱり、サイクリストたちの中でも、地域によって人気の差があるのか。それとも、南のほうは暑いからみんな避けて通っているのかな?
福井県との県境に来た。滋賀県ともここでお別れだ。峠の茶屋ならぬ峠のラーメン屋で昼めしにした。ここから、長いダウンヒルだ。ミニベロと違って、このロードレーサーはどんどんスピードが出る。あまり快調に飛ばし過ぎると怖いくらいのスピードが出るので、ブレーキだけはしっかりと握っていなければならない。そのうち握力も低下してきて、上腕がだるくなってくる。それだけじゃなく、きょうは悪天のため、気温が低い。おかげでこの長い下り坂、だんだん寒くなってきた。上着は、これまた荷物を減らすために徳島に置いてきたので、少々寒くても我慢して走らなければならない。
豆壱郎のちょっと一言
どんなに暑い真夏でも、上着は持って行ったほうがよい。豆壱郎は、こののち北海道でもっと寒い経験をすることになるが、北海道に限らず、とにかく夏でも寒さ対策は必要。ルームキーは?
敦賀には午後3時に着いた。少し早いが、一応きょうの予定は敦賀でおしまいと決めていたので、気分的にももうこれ以上走るのがいやだった。ビジネスホテルを探し回ったが、ない。また昨日の繰り返しか。いや、昨日とは少し違う。昨日の場合、ホテルはたくさんあるのだけれど、ことごとく断られてしまった。きょうは、ホテル自体が見つからない。2時間近く探し回って、ようやく1軒見つけた。かなり古そうなボロボロの建物で、今にも崩れそうだ。中に入ってみると、く、く、暗~~い! うわ~。まさにホラー映画にでも出てきそうな“幽霊の館”という感じで、何が出てきても不思議でない。あ~~やなとこに入ってしまった! フロントというよりは幽霊病院の受付という感じの窓口の奥に、管理人らしき人がいて、
管理人:「空いてますよ。ど~ぞ~」
と、暗い応対。部屋番号を言ってくれただけで、ルームキーもくれない。
豆壱郎:「あのう…。ルームキーはないんですか?」
管理人:「いらないでしょ。泥棒なんか入りませんよ」
怖~い! たしかにこんなとこ、泥棒さえも敬遠しそうだ。とんでもないところに泊まってしまった。
不安を抱きつつ、食事のため外出した。荷物は鍵の付いていない部屋に置きっ放しだが、心配ないだろうか?
食事の後、敦賀港に行ってみた。大津市手前で出会った京都のサイクリストが来ていないかと思ったからである。彼は、ここから船に乗り、31時間をかけて北海道の小樽に行くと言っていた。しかし、彼の姿を見つけることはできなかった。
部屋に戻って(できることなら戻りたくもないが…)、洗濯をしたあと、なんにもせずにボーーーッとしていた。出発して2週間、精神的な疲れが出てきたのか、日本縦断に対する疑問がふつふつと湧いてくる。このまま単調な走りを続けても、はたして、あとに何かが残るだろうか? ただ走るだけの日本縦断なんて、意味のあることなのだろうか? 体力的には、自転車もロードレーサーに換えたことだし、まだしばらく走り続けることは可能である。しかし、僕の中の、最後まで完走してやるぞという意気込みが、日を追って少しずつ減少しているのは否定しがたい事実だった。これから徳島の自宅はどんどん遠くなっていくというのに、今さら何を言っている!