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Route-5 中部・関東②

HOME > Route-5 中部・関東> 1981年8月11日

ハンガーノック。

1981年8月11日(火)
-くもり-

きょうの宿泊予定は、山梨県の石和温泉ユースホステルである。きのうのうちに電話で予約しておいた。したがって、きょうはもういつものようにホテル探しに苦労しなくてすむのだ。しかし、その反面、何があっても予約しているユースまでたどり着かなければならない。つまり、安心と引き換えに、拘束を選んだわけである。まあ、距離的にはそんなにたいしたことはないので、充分余裕はあると思う。

塩尻峠へのアプローチにさしかかった。登り坂になる前に朝食を食べておこうと思っていたのに、またきょうもタイミングを逃してしまった。空腹のためペダルに力が入らない。ハンガーノックと言って、冗談抜きでペダルが踏めなくなるのである。しかし、こんなところで止まってしまってもどうしようもないので、ヘロヘロになりながらも頑張って峠まで登ることにした。峠に着けば、食堂ぐらいあるだろう。もう少しの辛抱だ。
ところが、やっとの思いで到着した期待の峠には、食堂の類いは1軒もなかった。あるのは自動販売機だけである。え~~?そりゃないよ~。
しかたなく、いつものようにジュースでごまかすことにした。こんなことばかりしてるから昨日みたいに腹の調子が悪くなるんだ。

長野山梨地図

峠を過ぎれば下り坂。急な下りはすぐ終わり、あとは平地なのか下りなのかわからない程度の緩やかな下り坂がしばらく続いた。爽快なダウンヒルとは言えない。向かい風ということもあって、ペダルを踏まないと止まってしまう。

午前11時。やっとレストランを発見。看板を見ると「ドミンゴ」と書いてある。「ドミンゴ」というのは、「日曜日」という意味のスペイン語・ポルトガル語であるが、まさにスペインという感じは、その外観から充分に伺えた。中に入ってみると外観以上にスパニッシュな感じで、天井といわず壁といわず至る所に民芸品などがいっぱいぶら下がっていて、結構ごちゃごちゃした内装だ。隅のテーブルに座ると、ウェイトレスがやって来て、メニューを出してくれた。このメニューというのがまた大変。70センチ×40センチぐらいはあろうかという巨大な木の板に料理の名前が書かれている。これをいきなり目の前にドンと置かれて、僕は思わずのけぞってしまった。

食事を済ませて「ドミンゴ」を出た後は、石和町まで単調なペースで走った。途中、釜無川の土手を走っていると、土手の下の道に、なにやら見慣れぬ大きな車が止まっている。よく見ると、トラックの後ろの荷台の部分に、一般的な家庭のダイニングキッチンのセットを作ってある。なるほど、わかったぞ。この車はテレビでたまに見かける地震体験車だな。つまり、セットの下に振動装置を付けてあって、震度4とか、震度5とかを実際に体験してもらい、地震の時に素早く対処できるよう日ごろから訓練しておく、そういうための車なのだな。さすがは地震の多い地方。地震に関しては、関西よりもはるかに真剣に取り組んでいるようだ。もし関西に震度5以上の地震が突然発生したら、おそらくパニックになるだろう。関西にそんな大きな地震など来ないと安心ばかりもしていられない。少しは考えておいたほうが良いのではないだろうか。

豆壱郎のちょっと一言

上に書いた地震のことについてだが、そのころ関西はほとんど大きな地震はなく、豆壱郎が当時、関西での大地震を心配していたのも事実。そして、1995年、皆さんご存知のように阪神大震災は起こってしまった。

 

石和町。小さな温泉町である。ユースホステルハンドブックに記載されている地図を頼りに、石和温泉ユースホステルを探したが、よくわからない。これといって目印になるようなものもないので、いったん石和駅まで行ってみた。駅前に、町内商店案内看板があったので、それを見てみると、ユースホステルの場所も書かれてあった。そのあたりをもう一度走ってみると、畑の向こう側にようやくユースの建物が見えた。(今ではマンションや住宅が建ち並んでいるが、1981年当時はこのユースホステルの周りにはあまり多くの建物はなかった)

きょうのホステラー(宿泊者)は、15~16人の女性たち(保育士さんらしい)と、僕以外に2人の男性サイクリスト。少々寂しい。この2人のサイクリスト、ここで初めて知り合ったそうだが、僕がここに到着したときはすでにすっかり意気投合して、明日のコースも同じ方向なので一緒に走ると言っていた。ちょうど僕がきょう走ったコースを逆にたどることになる。
豆壱郎:「塩尻峠からここまではかなりなだらかな下り坂が続いたから、こっちから行く場合は、逆にダラダラした登り坂が続くと思いますよ」
と教えてあげた。

食事の前に、
2人のサイクリスト:「僕たちこれから風呂に入ってこようと思うんですが、一緒に行きませんか?」
と誘ってくれたが、
豆壱郎:「おなかすいてるんで食事の後にしようと思ってるんです」
と言って先に行ってもらった。しばらくして、その2人が風呂から上がってきて、
2人のサイクリスト:「食事の後は女性たちに入ってもらうから、先に入ってくれとペアレント(管理人)さんが言ってましたよ」
豆壱郎:「ええ?そうなの?じゃ、しょうがないなあ。行ってくるか」
慌てて僕も入った。

風呂から出てくると、もうみんな夕食を始めていた。いやに静かだ。全員が黙々と食べている。いつものユースホステルの夕食風景とは全く異なっている。僕が知っている限り、ユースホステルの夕食時というのは、みんなベチャクチャしゃべくりながら食べるので、結構にぎやかだ。この保育士さんたち、そして僕を含む男性サイクリスト勢の十数人は、たいへんおとなしいホステラーたちである。
ひとり旅を続けていると、無性に人恋しくなるときがある。久々のユースホステルなので、にぎやかな夕食を楽しみにしていたのだけれど、ちょっと残念だった。

本日の走行距離: 95km
累計の走行距離: 1,413km
累計走行距離インジケータ

沖縄
(スタート)

東京
(中間点)

宗谷岬
(ゴール)
現在地
本日の出費 合計5,000円
ジュース 100円
缶コーヒー 100円
めし 700円
めし 350円
缶コーヒー 100円
ジュース 100円
ジュース 100円
コーヒー 300円
ユースホステル 3,150円

※金額は1981年当時の実際の金額です。

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