1981年8月3日(月)
-晴れ-
午後9時8分チェックアウト。川之江市までの道は、特に変化のない道で新鮮味もなく単調なペースで走った。川之江市からは、登り坂がしばらく続く。愛媛県と徳島県の境目、その名も境目トンネルというのがあって、ここまでの登り坂はかなり苦しんだ。休みながらゆっくり登る。なあに、慌てることはない。きょうの泊まりは、阿波池田ユースホステル。すでに予約をとってあるのだ。この坂を越えたら、ユースホステルはもう目と鼻の先。
と思っているうちに、ユースホステルには午後2時半に着いてしまった。ちょっと早すぎる。
このユースホステルは国道のすぐ上の山の斜面に建てられている。とりあえず受付だけして、荷物を預かってもらい、再び炎天下に出る。といっても、この辺は特に見るところもない。余談になるが、徳島の池田町といえば、その昔、天下にその名をとどろかせた池田高校がある。蔦(つた)監督ひきいる高校球児「さわやかイレブン」(イレブンと言ってもサッカーではない。野球部だが部員11名しかいなかったのでこう呼ばれた)で甲子園準優勝して有名になり、その後、畠山や水野といった、のちのプロ野球選手を輩出した、当時では全国的に有名な高校である。グラウンドのすぐ横を国道が走っているが、野球部員の打った硬球が車に当たらないように、グラウンドの端には超~高いフェンスがある。
すぐ近くに喫茶店があったので、ここでしばらく涼むことにした。コーヒー1杯だけで、漫画を読みながら1時間ばかり時間を潰した。あんまり長居もできないので、またユースホステルに戻った。
二つの生き方。はたして現実は…?
ユースの同じ部屋には、千葉県から列車で来たという、メガネをかけた高校生(以下、名前を聞いていないので、千葉くんと呼ぶことにする)と、福岡県から自転車で来た二人組の高校生(以下、福岡くんたちと呼ぶ)、そして僕の、合計4人。この中では僕が一番年上のようだ。いろいろと話をするうちに、内容が自分の将来のことについての話になっていった。これが、千葉くんと、福岡くんたちとでは、まったく正反対の考えを持っていたのだ。僕はすでに就職しているので、第三者的立場に立って、この二組の意見を興味深く聞かせてもらった。
福岡くんたちの意見
─ 自分は高校卒業後、何とか頑張って一流大学に進学し、その後、福岡の某大手企業に就職する。まじめに働いていれば、40歳ぐらいで課長クラスにはなっているだろう。平凡ではあるが、確実な人生を歩みたい ─いわゆるエリートコースといったところか。
一方、もう一人はどうだろう。
千葉くんの意見
─ 高校を卒業したら、ひとつの会社に決めることはせず、1年とか2年とかの短期間でいいから、いろんな仕事をしてみたい。豊富な知識と経験を積んで、その中から、自分に一番合っている仕事を探すのがいいんじゃないだろうか ─という波乱万丈型の人生だ。さて、僕はどちらの意見に賛成する? う~ん、非常にむずかしい問題だ。両方ともそれなりに納得する内容ではある。もちろん3人ともまだ高校生。実際に体験したわけでなくすべて想像だけの世界であり、甘い考えかもしれない。福岡くんたちにしても、そううまくトントン拍子にエリート階段を駆け上がれるとは限らないし、上司には逆らえず、部下からは突き上げられる、給料はなかなか上がらない、時間に縛りつけられる、ストレスのたまるサラリーマンの哀しい生活など知るはずもないし、千葉くんにしても、職場を転々と変わっていくうちに、どれほど世間から信用を失っていくか。また、1年2年では仕事というのはそれほど身に付くものではないということは、よもやわかってはいまい。甘いぞ!
しかし、甘いなりにしっかりした自分の意見を持っているこの少年たちは偉いと思う。なんとなく高校を卒業し、成り行きで就職した僕にとって、この3人の高校生はすごく大人に見えた。
夕食のあと、ホステラー(宿泊者)全員(30人ぐらいはいたと思う〉で、ミーティングをした。
ユースホステルにおけるミーティングというのは通常、自己紹介、ペアレント(管理人)さんのお話、ディスカッション、ゲームなどをして、ホステラー同士の親睦を図ろうというものである。ここのユースホステルでは、ペアレントさんは不参加で、ホステラーだけでゲームをして過ごした。
エキサイトしすぎてついつい時間を忘れてしまい、午後10時過ぎまで食堂談話室で騒いでいると、ペアレントさんが入ってきて、
「いつまで遊んでるんだ!時計を見ろ!もう消灯時間を過ぎてるだろ!」
と、叱られてしまった。ホステラー全員、シュンとなって、クモの子散らすように解散し、そそくさと各々の部屋に戻る。