「お客様、ごゆっくり」
民宿のご主人。浮浪者のような若造に頭を下げる。
1981年8月1日(土)
-くもりのち晴れ-
目覚めたのは午前9時。ちょっと寝過ぎていないか?いや、ちょっとどころではない。ただでさえ走行距離が短いのに、こんなにゆっくり寝ていたのでは、いつまでたっても目的を達成できないぞ。(一晩寝ると、昨夜の決意などすっかり忘れてもう走る気になっている)
9時15分、朝食。食べている最中にご主人がやってきて、
「おはようございます。わたくし、ちょっと所用でこれから出かけなければなりませんので失礼します。どうぞお客様、ごゆっくりしていってください」
と、まことに丁重なるご挨拶を頂戴した。あらたまって、お客様などと言われると、かえって恐縮してしまう。
かなり遅くなってしまったが、いよいよ出発。宿泊費は規定で3,500円なのだが、お風呂を用意できなかったので3,000円でいいといってくれた。良心的な民宿だ。
天気はあまりよくない。風が強く、小さなからだと小さな自転車は吹き飛ばされてしまいそうだ。重い荷物で何とかバランスを保っている。
牧ノ戸峠まで大変急勾配の登り坂を、よろよろしながら登っていく。苦しい。またまた吐きそうだ。日本というのはなんて山の多い国なんだ。いや、山の多いコースを選んだ僕が悪い。やまなみハイウエイを選んだのが失敗だったのだが、よく考えてみると、僕はなぜかこのやまなみハイウエイが好きである。というより、九州が好きだ。過去を振り返ってみても、九州にはよく来ている。まず、中学の修学旅行で来たのが一番最初。次に、高校3年の夏に自転車でやまなみハイウエイを走った。その翌年、5月に別府・由布岳登山。さらに翌年2月に今度は阿蘇登山。その年の9月、友だち3人でやまなみハイウエイをドライブ。そして今回。というように、もう6回もこの九州の土を踏んでいる。どうやら僕は、この九州の空気、そしてこの広大な風景が肌に合うようだ。しかし、今回はずいぶん苦戦を強いられている。もちろん景色を楽しむ余裕などまったくない。ただやみくもにアスファルトを睨みつけながらペダルを回すだけである。
ラジオから流れる曲に涙。
土曜日のせいか、観光客は多い。懐かしの牧ノ戸峠をやっとの思いで越え、ささやかなダウンヒルを楽しんだ(楽しめるほどはスピードは出ないが)。そのあとはまたアップダウンの繰り返し。ああ、もうウンザリだ。ラジオでも聞きながらのんびり走るか。そんな気楽なものでもない。この急勾配と強風に、ほとんどギブアップ気味である。心身ともに疲れ切っていた。そんなとき、ラジオから流れてきたのは、山口百恵の『さよならの向う側』という曲。山口百恵引退直前の曲である。この曲を聴いているうちになんだか涙がこぼれてきた。あまりの名曲に感動したのか、一人旅の寂しさに耐えきれなくなったのか、それとも、バカなことをしている自分がどうしようもなく惨めになったのか、理由はよくわからない。男が一人道端でわけもなく泣いている。他人が見ると、なんだコイツ!?といったところだろう。
この同時刻に、マイカーで行楽に来ている家族もいれば、理由のはっきりしない涙を流しながら、ヘンテコな自転車のペダルを回している男もいる。みんなそれぞれ自分自身の物語を作りながら、この道を通り過ぎてゆく。
水分峠を過ぎると、ようやく下り坂だ。爽快じゃないがダウンヒルを楽しむ。が、それもつかの間。湯布院町からはまた登り坂である。もういいかげん許して欲しいと言いたくなる。おまけにギンギンに晴れてきた。直射日光がまた僕をいじめる。道の横は木が立っていて少しは日陰になっている部分もあったが、しばらく登っていくと、その木陰さえもなくなってまさに炎天下となった。そして、あいかわらずの強風に悩まされ、とうとう自転車を降りて、押して登った。僕は、昔から押すのは嫌いで、どんな急坂でもフラフラになりながらペダルをこぎ続けることをやめなかった。プライドが許さなかった。サドルにまたがりペダルをこいでこそ自転車乗りなのである。押したのでは歩行者だ。しかし、少しでも前に進むために、こうして自分の意志を曲げなければならないときもある。悔しいがしかたがない。
由布岳
(当時の写真ではありません)
やっとの思いで、由布岳の登り口に到着。3年前この山に登山に来た、懐かしい場所である。ここを過ぎると、これがホントにホントの最後のダウンヒルだ。もう別府まで登り坂は一切ない。僕は、まるで百年の恨みを晴らすかのごとく、一気に駆け下った。
気分よく風を切っていると、後から来た車がクラクションを鳴らして、止まれというので、止まったら、
「サドルのあたりから、何か黒いものがピラッと飛んだよ」
と教えてくれた。
『しまった!サドルカバーだ!』
慌てて数百メートル引き返した。もう別府まで登り坂は一切ない…はずだったのに、こんなところで予定外の登り坂…。ま、それはいいとして、どうやら風に飛ばされたらしく、もう見つけることはできなかった。
午後4時前。意外と早く別府に着いた。駅前に、まだ新しそうな小ぢんまりとしたビジネスホテルがあったので、入ってみる。
豆壱郎:「予約してないんですが、シングル空いてますか」
毎度おなじみのセリフである。
フロント:「えーっと…あ、一部屋だけ空いてますねえ。土曜日はいつも満室なんだけどね。あんた、運がいいよ」
ラッキー!
部屋に入って、ベッドに身体を横たえると、思わず大きなため息をついてしまった。疲れがドッと出た。そういえば、きょうはずっと山ばかりで、平地は一度も走っていない。まだ4時だから走行距離も走行時間も少ないが、体力の消耗度はきのう以上だ。
時間はまだ早いが、すぐに風呂に入った。きのう入ってないので、タオルが真っ黒になるほど汚れていた。特に顔や腕など露出している部分はひどい。バスタブの中は垢だらけ。汚い話だが、これが現実なのだ。まだまだ汚い話ならこのあといくらでも出てくる。机の上の計算では予想もしてなかった出来事が、実際に走ってみるとたくさんあるものだ。
風呂から上がってさっぱりしたところで、部屋から徳島の家に電話をかける。今までも何度か電話をかけたが、公衆電話なのでせいぜい100円分ぐらい。『いま、○○です。元気です』と、簡単な報告しかできなかった。きょうはホテルの部屋だし少々高くつくかもしれないけれど、ゆっくり報告した。そのあと、予約してあったユースホステルのキャンセルもここから何件かかけた。なにしろ、全部で16件も予約してある。予定を大幅に変更したため、そのほとんどをキャンセルしなければならないのだ。後半は、もしかすると予定通りに着けるかもしれないというささやかな期待も残っているので、ギリギリまでキャンセルしないでおいておくことにする。
2階のフロントの隣に喫茶店がある。そこで食事をしたが、まだ少々足りない。またあとでなんか食べに行こう。
きょうは、時間がたっぷりある。部屋に戻って洗濯をした。ズボンはお尻の部分が真っ黒になっていて、石鹸でいくらこすっても落ちない。特にきょうはサドルカバーを落としてしまったのでなおさらだ。
用意した洗濯ロープの片方をテレビの下に敷き、もう片方をイスに縛りつける。長さが短いので、洗濯物全部は干すことができない。ズボン、Yシャツはロープに干して、パンツは入り口のドアのノブやイスの背もたれの片方などに干した。旅先で洗濯をした場合、通常の干し方では朝までに乾かないかもしれない。少々裏ワザを使う。まず、ホテルに備え付けのバスタオルを用意する。それを床に敷き、その上に洗濯したものを置く。そして、クルクルッと巻き付け、力の限りねじって棒状になったものをさらに丸める。それを床に置いたまま、自分はベッドなどの上に立ち、思いきりジャンプしてその丸めたタオルの上に飛び降りる。これで完璧!(この方法は昔テレビで誰かがやっていたのをまねしたのである)
「へいっ!醤油ラーメン」
日本一早いラーメン屋さん?
午後7時30分。一働きしたら腹がへってきたので、ちょっと外出する。ホテルのすぐ前が別府駅である。ホテルのある側は裏通りになる。表通りのほうに渡ったところで、ラーメン屋を見つけた。カウンターしかない小さな店だ。店員ひとり。客は3人。僕はイスに座りながら、壁に書いてあるメニューを見て、
豆壱郎:「え~と、…醤油ラーメン」
と注文した。その直後、まだ1秒ぐらいしかたっていないのに、
店員:「へいっ!醤油ラーメン」
と、カウンターの上に置いてくれた。
え????????????
あまりに早すぎな…い?
僕は何が起こったのか理解できず、数秒間フリーズしていた。店員は平然として黙々と作業を続けている。僕は狐につままれたような気分で、首をかしげながら割りばしを割って、とにかく食べだした。ふた口ぐらい食べてから、店員が、
「すいません。あっちの人と間違いました。どうぞ、かまいませんからそのまま食べて下さい」
と言った。やっぱりな。おかしいと思った。1秒で作れるはずがないし、あらかじめ作っておくというのもおかしい。もしかするとこの人、予知能力でもあるんじゃないかとも思ったが、SFじゃあるまいし。もし予知能力があったら、ラーメン屋なんかやってないだろう(笑)。
店員は、カウンターの隅に座っている人に、
「醤油ラーメンでしたね。すいません。すぐ作ります」
と謝っていた。
ホテルに帰って、フロントで1万円札を両替してもらい、エレベーターで上に上がる。出口のところに自動販売機があったので、日本酒を買った。ビジネスホテルのシングルルームで一人日本酒を飲む。絵にならない。寂しい。