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Route-6 東北④

HOME > Route-6 東北> 1981年8月18日

豪雨。
まとまった雨は心の中にまでもしみこんでいく。

1981年8月18日(火)
-くもりのち雨-

高校生:「朝ですよーっ!起きてくださーーい!!」
なんなんだ、この大声は??
寝ぼけまなこをこすりながら、半分目を開けると、昨夜同室だった函館の高校生が、ニコニコしながらみんなを起こして回っている。
豆壱郎:「なんだおまえは」
高校生:「おはようございます。朝ですよ」
豆壱郎:「朝わかってるよ。おまえね、初めてユースに泊まったから嬉しいのはわかるけど、だからってそんなにはしゃぐのはやめてくんないかな」
隣のベッドでXJ400氏も、けげんそうな顔で、
XJ400氏:「ああ、おまえの早起きはよーくわかった。けれど、オレたちまだ寝足りないからもう少し寝かしといてくれよ。なっ」
高校生:「だめですよ。ほら、6時30分起床、7時から朝食ってちゃんとここに書いてあるじゃないですか」
と、入り口のドアに貼ってあるスケジュール表を指さした。
豆壱郎:「………。ちっ!………はいはい、起きりゃいいんでしょ?」
高校生:「そうですよ。さあっ!顔を洗いに行きましょうっっ!!」
…まったく、朝一番からなんて元気なやつなんだ。

朝食の後、外に出ると、宿泊客5~6人で記念撮影をしている。僕も入れてもらおうと慌てて駆け寄ると、間に合わずにセルフタイマーのほうが先にシャッターを切ってしまった。残念。

駐車場には宿泊客4~5人が集まって、お互いのバイクや車の展示会?というか自慢大会をしていた。XJ400氏は、きのう転倒したそうで、マフラーが激しく上に曲がったが、手で下に戻したと言っていた。イグニッション(キーを刺して回す部分)も激しくぶつけてしまい、キーが入らないので直結にして、電器屋さんで買ってきたスイッチをつけたと言っていた。そのスイッチは、見えないようにタンクの下に隠してあった。盗まれたりイタズラをされないようにである。旅先で事故を起こすといろいろと大変だなあ。本人は、腕をすりむいたらしく、包帯を巻いていたが、この程度で済んでまだよかったと言えよう。他人事ではない。僕も気をつけなければ。

 

午前8時半。ユースホステルを出発した。きょうはくもっているので走りやすい。しかし、腹はよくへる。10時40分、昼食にはまだ早い時間だが、食堂に飛び込む。
腹ごしらえも済んで、また走り出し、登り坂を登っていると、2人組のサイクリストに無言で追い抜かれてしまった。挨拶もなしか? 普通は同じサイクリスト同士。すれ違ったり追い抜きざまには、ピースサインや「こんにちは」ぐらいは言うものだ。ムカッときたので、抜き返してやろうと追いかけたが、差は開く一方だ。残念ながらトシには勝てない。しかたがないので、食堂に入る(なんの繋がりがあるンや~?)。たいして走ってもいないのにすぐ腹がへる。まだ午後1時半だぜ。もう、きょう3度目のめしか?

一戸町、二戸市、三戸町と通り過ぎた。地図を見てみると、たいへん面白い。一戸町、二戸市、三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、八戸市、九戸村まで発見した。しかし、四戸という地名だけ発見できない。四は縁起が悪くてつけなかったのか、それとも僕の地図に載っていないだけなのか。(調べてみると、四戸も大昔はあったらしいが、今はない。やはり「四=死」を忌嫌ったという説が有力)

八戸市には、午後4時過ぎに着いた。ジュースを飲みながら、ちょっと休憩をしているうちに、雨がパラパラと降ってきた。これはいかん!のんびりしていられない。千歳からの帰りの飛行機の予約を、ここ八戸市で取っておこうと思っていたので、とにかく雨が強くならないうちに、交通公社(のちのJTB)を探さなければならない。電話ボックスに入って、職業別電話帳をめくる。あった。場所は「堀端」と書いてある。堀端とはどこだろう? 八戸駅へ行ってみた。場所がわからなくなったときはいつも、とりあえず最寄りの駅まで行ってみることにしている。駅にはたいてい大きな市街地図の看板がある。ここで堀端の場所を確認した。雨は完全に本降りとなった。カッパを着て走る。

これほどの激しい雨は道中初めて。

午後4時40分、交通公社八戸支店に到着。8月25日午前11時10分千歳発大阪行きの飛行機を予約した。もうこれで、途中どんなことがあっても、この日この時間までに千歳に到着していなければならないのだ。あと一週間、無事宗谷岬にたどり着けるだろうか。そして、千歳空港まで帰ってこられるだろうか。不安が頭の中でぐるぐると回っている。

青森-北海道地図

さて、今度は八戸港だ。ガソリンスタンドで道を訊いて、土砂降りの中を走る。すごい雨だ。ロードレーサーにはドロヨケはついていないので、タイヤの泥ハネは容赦なく襲いかかってくる。前輪の泥ハネは、まっすぐ走っているときはフレームのダウンチューブ(下パイプ)に当たるのでまだいい。だが、ちょっとハンドルを切るとモロに顔にかかる。後輪の泥ハネは、背中にダイレクトにかかる。背中にはデイパックを背負っているので、その上から着たカッパと、カッパのズボンとの間に、どうしても隙間があく。だからカッパを着ているにもかかわらず、シャツなどに泥水が直接かかってしまう。また、これほどの土砂降りの中、長時間走っていると、どこからともなく水がしみ込んできて、気持ち悪い。さらに汗もかくので、外も中もいっしょだ。

ようやくフェリー埠頭に着いた。苫小牧行きに乗るつもりで手続きをしていたら、予約しているのかと訊かれた。
豆壱郎:「いいえ。してませんけど」
フェリーの受付:「満員だから、予約してないんなら乗れないよ」
と、冷たく突き放された。うかつだった。たかが自転車1台ぐらい、予約なんかしなくても乗れると思っていた。満員なんて頭の片隅にもなかった。
フェリーの受付:「苫小牧行きは無理だが、室蘭行きならまだ空いてるよ?」
しかたがない。とにかく北海道に渡ることが先決。そうしないと、帰りの飛行機の予約をしてしまった以上、こんなところで足踏みは許されないのだから。

室蘭行きフェリー乗船券

午後7時45分出航。予定外ながら、なんとか本州を離れることはできた。この船もかなり満員だ。僕の自転車は、一番最後に乗せられたので、2等客室の中に入ったときはもう座るところもなかった。どこにも座れずウロウロしていると、船員が、1等客室に案内してくれた。こういう親切はたいへん嬉しい。

腹へった。そういえば、1時半に昼食を食べた後、なんにも食べていない。売店でお菓子を買ってごまかした。あとで知ったが、この船にはレストランがあったのだ。それに気がついたのは閉店した後だった。

1等船室で、隣に寝ていたおじさんが、
「にいちゃん、ビール飲まんか?」
とすすめてくれたが、
「いえ、けっこうです」
とお断りした。ビールなんか飲まなくても酔いそうだ。悪天のため、船の揺れはかなり激しくなっていたのである。

本日の走行距離: 133km
累計の走行距離: 2,316km
累計走行距離インジケータ

沖縄
(スタート)

東京
(中間点)

宗谷岬
(ゴール)
現在地
本日の出費 合計40,220円
缶コーヒー 100円
めし 750円
缶コーヒー 100円
めし 450円
缶コーヒー 100円
ジュース 100円
航空券(千歳~大阪) 34,100円
フェリー(八戸~室蘭) 4,200円
お菓子 200円
缶コーヒー 120円

※金額は1981年当時の実際の金額です。

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