自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

Route-8 宗谷岬以降①

日本最北端の地宗谷岬に到着した。 でも、これで旅が終わったわけではない。我が故郷徳島に帰らなくてはならないのだ。

じつは、ここから徳島までの3日間に、予想もしていないハプニングがまだまだ続く…

HOME > Route-8 宗谷岬以降> 1981年8月23日

“巻き寿司”。

1981年8月23日(日)
-雨-

朝起きると、雨はやっぱり降っている。台風の直撃は避けられそうにない。きのうは目的達成の喜びにひたっている間などなかったが、きょうだってそんな状態ではない。それより、25日までになんとしても千歳空港にたどり着かなければならず、そっちの心配のほうが僕にとっては大事な問題なのである。どうも日本縦断を達成した喜びを実感できるのは、徳島の自宅に戻ってからのようだ。

いつまで経っても雨の勢いが弱まる気配はなく、3人組ライダー石川さんたちは、しばらくは窓の外を眺めて様子を見ていたが、諦めて雨の中を出発した。僕は、南稚内11時59分発の急行「天北」に乗れればいいので、慌てる必要はない。しかし、昨夜一緒に泊まった別の人で、関西から来たというライダーと一緒に9時過ぎまで待ってはみたものの、小降りになる様子もないし、それどころかますます強く降りだしたので、しかたなくユースホステルを出ることにした。

 

南稚内駅にはすぐ着いた。急行列車「天北」の発車時刻まではまだ2時間半もあるので、まずゆっくりと自転車の分解にかかった。ここから輪行するつもりなのだ。
ぼくが自転車を分解している間に、その一つ前の便、10時41分発の名寄行きの鈍行が発車した。このとき僕はまだ、自分が犯した重大なミスに気づいていなかったのである。

さて、まだ急行「天北」発車まで1時間以上あるが、乗車券を先に買っておこうと思い、窓口まで行くと、何か貼り紙がしてあったので、読んでみる…。

「11時59分発の急行「天北」は水害のため運休」

……!!
な、なんだと~~??
一瞬、めまいがした。えーーっ??うっそ~!…し、しまった!こんなことならさっきの鈍行に乗っておくべきだった。時すでに遅し。ああ~、自己嫌悪。なぜ駅に着いたすぐにキップを買わなかった?そうとも知らず1時間も無駄な時間をのんびりと過ごしたなんて…。

過ぎたことを今さら悔やんでもしかたがない。諦めて次の13時40分発の鈍行に乗るためキップを買った。トホホ…。しかし、鈍行も水害の影響を受けて、旭川までしか運行しない。なんということだ。本来なら急行「天北」は旭川に午後5時前には到着し、そこから乗り換えて、きょう中に札幌まで行くつもりだった。こんな調子で25日までに無事千歳空港にたどり着けるのだろうか。急に不安がムクムクと僕の心の中に広がってきた。

とにかく今は行けるところまで行くしかないだろう。
自転車を車内に持ち込むには、手回り品切符というのが必要だ。小荷物の窓口へ行って、JCA(日本サイクリング協会)会員証を提示し、普通手回り品料金170円を支払う。さて、ここでJCA会員証の説明をしておこう。(当時JRは国鉄だった。その頃の規則である)

日本国有鉄道旅客営業規則第309条

特殊法人日本自転車振興会の発行した選手登録証票を所持する者又は財団法人日本サイクリング協会の発行した会員証を所持するものが解体して帆布製の袋に収納し携帯する競技用自転車又はサイクリング用自転車は、持込区間・持込日その他持込に関する必要事項を申し出たうえで、鉄道・航路区間と自動車線区間とを各別に国鉄の承諾を受け、普通手回り品料金を支払って、これを車船内に持込むことができる

…といった規則だ。われわれ一般人が、列車内に自転車を持ち込むためには、まず日本サイクリング協会(JCA)に加盟したサイクリングクラブに入会して、JCA発行の会員証を、入会金及び年会費を支払って取得する。そして、この会員証を提示して手回り品切符を買うのだ。(当時)

発車時刻まであと3時間弱。
はーーーーーーっ。ため息が出る。どうやって時間を潰そうか?外は台風。自転車は分解して輪行袋に詰めてしまっている。今さらまた出してきて、この雨の中カッパを着て稚内の市内観光をする気などまったくない。駅前の食堂で、とりあえず腹ごしらえをした。列車に乗り込んだら、いつ食事ができるか見当もつかない。食べられる間に食べておく。食事のあとで、暇つぶしに駅の売店で文庫本を買った。しばらくは間を持たせられることだろう。

駅員が、
「きょうは寒いねー」
と言いながら、待合室の中央にあるストーブに火をつけた。ストーブといっても家庭用の小さいものとは違う。煙突のついた巨大なヤツで、昔のダルマストーブを近代化させたようなものだ。そういえば、今はまだ夏だが北海道はどこでもストーブを見かける。8月といえど、こんなに寒いのだから一年中ストーブをしまえないのだろう。

それから約2時間後、ようやく改札が始まった。どれほど長く感じられたか。ホームに並んだ人は、およそ14~15人。定刻の午後1時40分に到着した列車を見てびっくり。たった2両編成である。そして、この列車の始発駅である稚内から2番目の、この南稚内に到着した列車の中は、すでに乗客が満タン状態であった。ただでさえ少ない車両の数のうえに、急行「天北」の運休により、「天北」に乗りそこねた人たちがみんなこの鈍行に乗ったためと思われる。もちろん、僕もその一人なのだ。
「うわーーっ。これは乗れないかもしれない」
と、半ば諦めかかっていた。なにしろ、僕の場合は人間だけじゃなく、輪行袋という大きな荷物がある。しかし、駅員さんが無理やり押し込み、輪行袋は足元のわずかなすき間に詰め込んでくれた。

ギュウ~~

列車入り口のデッキのところに14~15人が団子状態になっている。まさに寿司詰め。都会の通勤ラッシュは経験したことはないが、こんな感じなのだろうか。男も女もない。ベッタリくっついて、一度手を上げれば二度と降ろせない。こんな状態のまま何時間我慢しなければならないのだろう。1分ほどの停車ののちに、2本直列の“巻き寿司”はゆっくりスタートした。

入り口付近は窓がないので、熱気でムンムンする。さっきまで寒くてウインドブレーカーを着たまま乗り込んだので、今度はこれを脱ぎたいのだが、なにしろ手を上げると降ろせない状態であるから、脱ぐというのは不可能である。しかたなく前のファスナーを開けるだけで我慢した。背中に背負っていたデイパックも肩に食い込んでくるので降ろしたいところだが、降ろせない。輪行袋の上には、すぐ横のメガネのおじさんが荷物を置いてある。その上にならデイパックを置けそうだ。僕が重そうにしているのを察して、
おじさん:「いいから置きなさい」
と優しい言葉をかけてくれた。僕はその言葉に甘えることにした。横にいたおばさんが、
おばさん:「おじさん、その荷物なに?…なんか、お土産みたいだけど」
おじさん:「いや、ちょっと毛ガニをね…」
おばさん:「毛ガニだって?さっきからギューギュー押してるから、もう潰れちゃってんじゃないの?」
デッキ前の集団一同:「はははははは…」
と、あっという間にこの寿司詰め状態の一団は、和やかな雰囲気になってしまった。

南稚内を発車してしばらくは、窓の外を流れる景色も見たことのない風景だったが、やがて僕の目に飛び込んできたのは、例の国道40号線の工事現場であった。道がえぐり取られて、僕が泣く泣く10キロを引き返した場所である。ここから後、車窓から見える画面は、僕が自転車に乗ってずっと見てきた風景を、早回しに巻き戻していった。

各駅停車だから、駅に着くたびにドアが開いて、つかの間の涼風を楽しむことができる。しかし、うっかりしていると、ドアが開いた瞬間、外に押しだされてしまいそうになる。また、駅に着いてドアが開くと、入ってこようとする客もいたが、
デッキ前の集団一同:「もうここいっぱいだから、他の入り口へ行って」
と追い返す。他の入り口といっても、2両編成だから、プラットホーム側の入り口は全部で4つしかない。たぶん、どの入り口もここと同じような状態であろう。

停車時間が長い駅では、いったん外に出て、新鮮な空気を吸ってくる人もいた。また、
「ちょっとうどん食ってくるわ」
と言って列車を降りた後、駅の立ち食いうどんを食べに行く人もあり、発車時刻になってベルが鳴りだし、ギリギリで走って帰ってきて、
おばさん:「早く、早くっ!」
と呼ばれて、慌てて飛び乗るというシーンも見うけられた。

走行中、トイレに入るのもたいへんだ。ちょうど、僕らが固まっているところにトイレがある。男の人が一人、身をよじりながら苦労してやっとトイレに入る。出てくると、今度は女の人が入りたいという。交替もままならない。
おばさん:「中で交替したほうが、楽だと思うけど?2人とも入っちゃえ。あはははは…」
という冗談さえ出てくる始末。

こういった地獄の状態(ある意味、楽しんでいるから天国?)が、約4時間半にわたって続いた。
午後6時10分、名寄に着いたとき、ようやく2両増えて4両編成になった。これでやっと座席に座ることができたのである。久しぶりにひざを曲げられ、座席に腰をかけたときドッと疲れが出た。

(まだまだ続く8月23日…)

  • ←前ページ
  • HOME/目次
  • 次ページ→
目次

自分史、自費出版、体験記のWeb版は、株式会社ピクセル工房

▲PAGETOP▲