自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

番外編 富士スバルライン①

富士スバルライン

自転車日本縦断を終えた豆壱郎は、次なる目的地を高さ方向(Y軸)に求めた。
ところが、そこには予期せぬアクシデントが…。

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1982年

計画。

日本縦断を終えた豆壱郎は、その翌年また新たなる企てをした。
日本縦断というのは、いわゆる平面上(実際には高低差もかなりあるので平面とは言えないが)を端っこから端っこまで移動したことになるが、それならば、今度は高さ方向(Y軸)にも移動してみたいなあ…出来れば日本のいちばん高いところまで。などと考えたのだ。

もちろん日本で最も高いところといえば、標高3,776m「富士山」であるのは皆さんご承知の通りである。しかし、そのてっぺんに登るとなると、それはもう自転車乗りの領域はとっくに超えて、完全なる山登りであり、登山経験の少ない豆壱郎がそう簡単に到達できる地点でもなさそうだ。しかも、自転車で登ったことにはならない。たとえ担いで登ったとしてもだ。ならば、とりあえずは富士山の、自転車で走れる最高地点(五合目)まで走ることで、「日本一の富士山に自転車で登った」ことにしよう。…などと勝手に自分で解釈して設定してしまったのである。

しかし、考え方によれば、「日本の中での自転車で走れる最も高地」ということなら、かの有名な「マウンテンサイクリングin乗鞍」ということになるのだろうか。乗鞍のゴール地点は標高約2,700m。対して富士山五合目は約2,300mである。これでは、富士山五合目まで自転車で登っても、自転車でいちばん高いところに登ったとは言えない。ただ、1982年に「乗鞍に自転車で登る大会」はなかっただろうし、なによりも当時豆壱郎は、自転車で走れる最も標高の高い場所は?…などといちいちそこまで調べたわけでもなく、ただ単純に日本でいちばん高い山=富士山…なら富士山に登ろう、と思っただけなのだ。

日本縦断と違って、今回の富士山五合目行きは綿密な計画を立てなかった。というより、計画を立てるほどのことでもないし、どのぐらいの時間で完走できるか想像もつかなかったからである。どちらにしろ麓までは車で行くのだし、スタート地点からはどんなにかかっても数時間のうちには決着がつくはずなので、行き帰りの日程と宿泊先だけ決めて、あとは走ってみなけりゃわからない…という状態だった。

月日 スケジュール
7月30日 徳島(車で移動)----名神、東名高速道----富士宮 ホテルで宿泊
7月31日 富士宮---河口湖---富士スバルライン入口(ここから自転車)登坂開始---富士山五合目到着---入り口まで戻る(ここから再び車)---埼玉の友人宅へ 友人宅で宿泊
8月1日 埼玉友人宅---東名高速道---徳島

とまあ、とりあえずこんな簡単なスケジュールだけ決めておいた。

自転車は、ミニベロは絶対使わない。あれは、前年の日本縦断でイヤというほど登坂に向いていないことを悟ったので、今回はロードレーサーを使うことにした。ルートは富士スバルライン。全長29.5km、スタート地点標高857m、ゴール地点(五合目)標高2,305m、標高差1,448m。まあ、いくらゆっくり登っても5時間もはかからないだろう。朝から登って、上で昼食、下山後は埼玉県の友人の家に遊びに行く…と、まったくお気楽な計画である。

さて、計画としてはまあこんなもんでいいだろう。富士宮市のホテルも電話で予約しておいた。荷物の準備もできたし、あとは出発するだけだ。

もちろん出発当日まで、このあと豆壱郎がどんなおぞましき体験をするかなど、想像もしていなかったのは言うまでもない…。

 

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