自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

Route-1 沖縄①

頭上から垂直に落ちてくる太陽の破片。
生身のからだに容赦なく降り注ぐ。

日本を縦断すると同時に、47都道府県をすべて通過したいという欲張った計画を立てた。この下心がなければ訪れることはなかったはずの沖縄。だが、灼熱の太陽は強烈な印象を僕に与えた。

沖縄

HOME > Route-1 沖縄 > 1981年7月25日

南へ──。
期待と不安が複雑に交錯する。

1981年7月25日(土)
-晴れ-

いよいよきょうが出発の日。
21歳の僕は、これから故郷の徳島を離れ、自転車で沖縄・那覇から北上し、北海道・宗谷岬を目指そうとしている。約1ヶ月の長旅だ。
だが、今はまだ徳島。勤務先の会社で仕事をしながら、午後5時の退社時間を待っていたのだった。

午後5時。きょうの勤務は終わり、タイムカードを押す。帰り際、会社の同僚たちから激励の言葉を受ける。
会社の先輩A:「頑張ってこいよ。お土産はいらんからな」(催促しているとしか思えない)
会社の先輩B:「徳島港は何時出航?見送りに行こうか?」
豆壱郎:「ありがとう。けど、見送られたら旅立ちにくくなるんで …」
と、丁重にお断りして、会社を出た。

ビバロ・ミニ
ミニベロ(小径自転車・16インチ)

一旦家に帰り、夕食を済ませてから出発の支度をする。携行品はもう何日も前からザックに入れたり出したりして、最終的に必要なものだけを選りすぐり、昨日のうちに荷造りは済ませておいた。

これから約1ヶ月の間、苦楽を共にする愛車ミニベロ(「自転車紹介」ページで詳しく紹介いたします)を、軽ハコバンの荷台に積み込み、姉の運転で徳島港へと車を走らせる。母も見送りのため同乗した。
午後6時過ぎに徳島港に到着。自転車と共にフェリーに乗船する。
午後6時30分、定刻通り出航。船は大阪へと向かう。

フェリーの中にサイクリスト(自転車旅行者)が3人いたので話しかけてみた。みんな高校生だそうだ。
豆壱郎:「どこへ行くの?」
高校生:「いや、ボクたち帰りなんです」
豆壱郎:「あ、そう。どこから?」
高校生:「京都から来たんですけど、ずっと四国を回って…。…ええっと、ずいぶん大きな荷物だけど、どこへ行かれるんですか?」
豆壱郎:「はずかしながら…日本縦断。でもまだスタートもしてないんだ。これから出発点の沖縄へ行くところ」
高校生:「え?沖縄が出発点ですか。珍しいですね。普通、日本縦断といえば鹿児島からとかじゃないですか?」
豆壱郎:「うん。普通はそうなんだけど僕の場合、47都道府県全部を走破するつもりなんで、沖縄を飛ばすわけにはいかなくてね」

午後10時。この高校生たちとおしゃべりしているうちに大阪南港に着いた。彼らとはここで別れる。
大阪南港には、僕の中学校時代からの友人M氏が来ていた。彼は徳島の高校を卒業した後、大阪で働いていた。数日前に電話で出発の日を知らせておいたので、見送りに来てくれたのだ。
豆壱郎:「よう、久しぶりだな。あれ?またおまえバイク替えたのか?」
M氏は、僕が知っている限り数台目と思われる、真新しい250CCの単気筒オートバイにまたがっていた。
豆壱郎:「沖縄行きの船は『かもめ埠頭』から出るんやけど、『かもめ埠頭』ってどこ?」
と尋ねると、
M氏:「よっしゃ!案内したるわ」
と言って、ぼくのペースに合わせて伴走してくれた。が、徐々に速くなってくる。
豆壱郎:「ちょ、ちょっと待って。もっとゆっくり走ってくれ」
M氏:「なんや、時速20キロも出てへんぞ。そんなんでこれから3千キロも走れるんか?」
そんなこと言うなよ!こっちはこんな小さなホイール(16インチ)に生身のエンジンなんだ。スピードじゃなく完走を目標にしているんだからこれでいいんだよ。…と、心の中で呟きながら、彼のオートバイを追いかけた。しかし、内心は不安だらけ。完走する自信まったくなし。でも、もう後戻りはできない。何ヶ月もかかって計画を立て、親を説得し、会社の社長にも無理を言って休暇をもらった。会社の同僚や先輩たちにも迷惑を掛けることは承知の上で、1ヶ月間の旅に出ることを許してもらった。サイは投げられたのだ。あれこれ考えるよりとにかく今はペダルを踏むしかない。

午後10時25分 、かもめ埠頭着。
M氏:「じゃあな。がんばれよ」
と言って、M氏はオートバイを回し、来た道を引き返して帰って行った。

輪行袋

出航までまだ1時間もあるので、ゆっくりと自転車を分解する。
輪行袋という名の巨大な袋。これは、自転車を分解してこの袋に詰め込み、列車などの客室に持ち込んで長距離を移動し、目的地で再び自転車を組み立てて走る(これを輪行という)ための袋である。この輪行袋に愛車ミニベロを詰め込んで、フェリーに乗るのだ。こうすることによって、航送料金を大幅に浮かすことができる。
ちなみに、今回使用したこの自転車は、一見、折りたたみ自転車のように見えるが、フレームは折りたためない。前後のタイヤとペダル、ハンドル、サドルなどを外すだけなので、さほど小さくはならない。

 

大阪~那覇と那覇~鹿児島のフェリーは、あらかじめ交通公社(現 株式会社JTB)で予約してクーポンを買っておいたので、乗船手続きを簡単に済ます。ところが、手回り品(輪行袋)の料金を払おうと思っていたのに、手回り品の申告をしても、受付の人はなんだか意味がわかってないようでキョトンとしているので、まいいか、と思ってそのまま持ち込んだら、何にも言われなかった。これはラッキーと言っていいのだろうか(笑)。

午後11時10分、乗船が始まる。輪行袋をかついで階段を昇ると、軽いだけがとりえのこの自転車も、だんだん肩に食い込んでくる。

船室に入った。2等船室はたいへん狭い。およそ15畳程度の広さに十数人はいたと思うが、荷物は全部中に入れると寝る場所がなくなるので、ほとんどの人は、手荷物以外は船室の外の通路にそのまま置いていた。僕の輪行袋ももちろん通路。
夜中の出航だから、事実上ふた晩寝ることになるが、まず1日目の夜、これからの長い道中に備えて早めに眠ることにする。しかし、慣れない船室のせいか、それとも出発初日で興奮しているのか、どうも寝つけない。まるで遠足前夜の幼稚園児だな、これじゃ。

本日の走行距離: 数km?(不明)
累計の走行距離: これは計算に入れない
累計走行距離インジケータ

沖縄
(スタート)

東京
(中間点)

宗谷岬
(ゴール)
現在地
本日の出費 合計3,330円
フェリー(徳島~大阪南港)乗船券+自転車 2,380円
弁当(フェリーの中は高い) 800円
缶コーヒー(フェリーの中は高い) 150円

※金額は1981年当時の実際の金額です。

  • ←前ページ
  • HOME/目次
  • 次ページ→
目次

自分史、自費出版、体験記のWeb版は、株式会社ピクセル工房

▲PAGETOP▲