自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

Route-7 北海道③

HOME > Route-7 北海道> 1981年8月21日

九合五勺(しゃく)で通せんぼ。しばしその場にぼう然と立ち尽くす。

1981年8月21日(金)
-くもり-

誰か:「おーーい!起きろ~。起きろ~~!!」
眠たい。時計を見るとまだ午前5時半。いったいなんなんだ?盛岡ユースホステルの記憶がよみがえる。ベッドから首を突きだしてみると、昨夜の「横浜銀蝿」たちが、出発の支度をしている。どうやら始発の列車かなんかに乗るつもりで、早出をしようとしているのだ。
誰か:「おい、早くしねえと遅れるぞ」
他の誰か:「待ってくれよ。これがちょっと…」
ワイワイ、ガヤガヤ。ばかやろー!みんなまだ寝ているんだぞ。人の迷惑も考えずに、ウルセー!出ていくのは勝手だが、もっと静かに出ていけ。…と、心の中で叫んでいたら、
こいつらの仲間じゃないまた別の誰か:「うるせーーー!何時だと思ってるんだ。いいかげんにしろーー!」
と怒鳴ってくれた人がいた。さすがに銀蝿たちはおとなしくなり、コソコソと出ていった。

再び目が覚めたのは、午前7時だった。あいつらのおかげで寝た気がしない。ただでさえ、僕は朝が弱いのに、今朝は最悪である。
「うるせーー」と怒鳴ってくれた人が、声をかけてきた。
怒鳴った人:「あいつら最悪だったね。『お~い、起きろ~』なんて、周りの人間まで起すなっつーの。まったく」
豆壱郎:「ほんとにね。でもよく言ってくれましたよ」
悪いことに対して悪いと言えなかった自分が恥ずかしい。

朝食が済んだらすぐ塩狩をあとにした。走り出すと大変寒い。きのうの寒さどころでない。これはまるで冬だ。持っている服を全部着てもガタガタと震えが止まらない。今は本当に8月なのか?もしかして、南半球に来てしまったのでは?などと考えてしまう。我慢できずに、士別市で洋服店に入った。しかし、ここにはコートとかブルゾンしかなく、僕の求めていたウインドブレーカーの類いはなかった。しかも、値段がメッチャ高い。いくらここまでお金を湯水のごとく使ってきたといっても、あと3~4日のためだけには買えなかった。しかたなく、何も買わずにまた走り出した。
今度はスポーツ店を見つけた。ここならありそうだ。中に入ってみると、あるわあるわ。選り取り見取りだ。北海道の生活はあと3~4日。その間だけもてばいいので、いちばん安いものにする。平常価格3,200円のところ、半額セール中で1,600円。ラッキー!

走り出してみると、さすがにウインドブレーカーだけあって風を通さない。綿も入ってないし裏地もついてないけれど、風が通らないというだけでもずいぶん違うものだ。暑くても苦しいが、寒すぎてもかなり体力を消耗するので、このウインドブレーカーの効力によって、たいへん調子がよくなった。

北海道は本当に広い。視界が360度である。また、その状態が何時間でも続く。人里から人里まで何十キロというのもザラだ。トイレなんかは立ちションあるいは、野ピーーソするしかないが、これほどだだっ広かったら隠れる場所もないので落ち着かない。食事は、いったん食堂を出ると、今度いつ食堂を見つけられるかわからない。腹がへったときにちょうど都合よく食堂があるとは限らない。道は広く、路肩にはドライバーの仮眠のためのスペースさえあって、「眠くなったら休め!」と書いてある。それが、まるでもう一車線あるようにどこまでも続く。真っすぐな道は、ずーっと先のほうまで見えて、果てしなく続いているように見える。何時間走っても周りの景色は変わらない。でも、道の左右に広がる広大な大地は、草の生えた荒れ地ではなく、全部畑である。何を作っているのかはわからないが、こんなに端が見えない程の広さの畑でありながら、荒れているところはひとつもなく、ちゃんと手がかかっているところがすごい。

音威子府地図

退屈なペダリングを続けながらも、とりあえずは前に進んでいるようだ。午後3時過ぎには音威子府(おといねっぷ)に着いた。はじめの予定ではここで泊まるつもりだったのだが、まだ時間も早いので、もう少し走ってみることにした。

国道40号線は、ここから左に曲がって橋を渡る。橋の手前に、道路工事の看板があり、全面通行止めと書いてあった。
「はは~ん。ここなわけね」
きのう滝川駅で出会ったサイクリストが教えてくれた、国道40号線の通行止めというのは、ここのことだったのだ。ついに来たか。橋のところに、工事の旗振りのおばさんが立っていたので、訊いてみた。
豆壱郎:「全然通れないんですか?」
旗振りおばさん:「ああ、自転車くらいなら通れるでしょう」
おばさんを信じて、行ってみることにした。完全に車はシャットアウトしているので、だれ一人通っていない。我が物顔で、真ん中を走る。追い風だ。枯れ葉が舞っている。風はかなり強そうだが、背中を押されるままに、グイグイとペダルを回した。ずいぶん走った。10キロぐらい行ったところで、ついに工事現場にさしかかった。

ガガガガ・・・

「ガーーーーーーーーン!!」

道がない!右は、ガードレールのすぐ下が天塩川。左は崖の上がうっそうと茂った山。その、川から山まで道が完ぺきにえぐり取られている。僕は、しばしその場にぼう然と立ち尽くし、せわしなく動くパワーショベルを見つめていた。

ちきしょーー!あのオバハン!自転車はおろか、アリ一匹も通れないじゃないか。僕は、唇を噛みしめながら、泣く泣く10キロの道のりを後戻りした。僕は今来た道を戻ることが大ッ嫌いなのだ。しかも、帰りは向かい風である。ああーーっ!悔しいーー!!あのオバハンの言葉を信じた僕がバカだった。

やっとの思いで、音威子府まで戻った。さっきの旗振りの憎っくきオバハンに、
豆壱郎:「全然通れないじゃないか!」
と怒ると、
オバハン:「あら、通れなかった?ゴメン」
ゴメンで済むかよー。おかげで20キロも無駄に走ってしまったじゃないか。プンプン!

…と、いつまで怒っててもしかたがない。もうきょうはショックで走る気も失せてしまったので、ここら辺で旅館を探すとして、とりあえず腹ごしらえをすることにした。ほんとによく食べる。本日もうこれで4回目だ。

大衆食堂を出ると、都合よく向かいが旅館だったので、ちょっと入ってみた。
豆壱郎:「すみません。予約はしてないんですが、空いてませんか?」
おなじみのセリフ。
旅館の女将さん:「あー、きょうはもういっぱいなんですよ。ごめんなさい」
残念。門前払いだ。外に出ると、向かいのさっきの大衆食堂のおばさんが、入り口の掃除をしていて、目が合った。
大衆食堂のおばさん:「あんた、ここらへんの旅館はどこも満員だべ。なんでも、草スキーの全国大会とかで、学生がワンサカ泊まってるからね」
豆壱郎:「そうなんですか。今ここでも満員だって断られたんですよ」
大衆食堂のおばさん:「あんた、どっから来たの?」
豆壱郎:「四国の徳島です。日本縦断してるんです」
ここまで来ると、日本縦断ももう完走間近で、自分自身すごいことをやってるんだ…というような、ちょっと自慢みたいな気持ちもあって、『そりゃすごいな』と言ってもらえることを期待している部分があった。日本縦断なんて、偉いことでもなんでもないのに、少し鼻が高くなっていた。
大衆食堂のおばさん:「へえ、そりゃ大変だねえ」
豆壱郎:「いやあ、自分でも、なんてバカなことしてるんだとつくづく思いますよ」
と、すこし謙遜して言ったつもりだった。しかし、おばさんの返事は僕の期待を裏切った。
大衆食堂のおばさん:「ほんとだねえ」
ウッ!うなずかれてしまった。一瞬、自分を否定された気分がした。しかし、そのとおりだ。働いている人から見ると、ひと月もの間、仕事もせずにただ遊び歩いているとしか思えないのも当然である。観光目的であろうが完走目的であろうがそんなことは関係ない。実際のところ、一所懸命働いている人を見ると、うしろめたい気持ちになったことが何度もある。こんなことをしていていいのだろうか、と落ち込んでしまう。

 

駅のすぐそばに、今にも崩れそうな古い旅館(おっと、口が滑った!)があったので、ちょっと覗いてみた。
豆壱郎:「ごめんください」
奥から、おばさんがモソーッと出てきて、眉間にしわをよせながら、
旅館のおばさん:「ひとり?………どうぞっ」
と、無愛想な応対で、2階に通してくれた。
旅館のおばさん:「きょうは寒いねえ」
お?無愛想なワリに愛想も言うんだな。
豆壱郎:「そうですね。いつもこんなですか?」
旅館のおばさん:「いや、きょうは特別寒いね。…お風呂は階段降りて奥の右側だから。もうすぐ沸くからすぐ入ってください」
旅館といっても、あまり大きくなくて、普通の家のような感じだ。また、かなり古い建物のようで、階段は登り降りするたびにギシギシ揺れ、部屋の窓は目張りがしてあって、開けることはできない。おそらく隙間風がひどくて寒いか、雪が降り込んでくるのだろう。トイレは「かわや」と表現したほうがピッタリくる。「かわや」の窓はガラスが割れていて、バンソーコーみたいなテープで貼ってある。夜は何が出てきても不思議でない。そういえば、かつて敦賀で泊まったビジネスホテルも、幽霊の館のようだったが、ここの旅館に比べればかわいいものだ。ここは、それを遥かに凌ぐほどの怖さである。夜中にあのおばさんが、地下室でシャーコ、シャーコと首切り鎌の刃を研いでいる姿をふと想像してしまい、背筋が凍る思いがした。
こんな旅館でも、僕以外に泊まり客がいるらしい。となりの部屋にはバイクで来たアベック。その他にも数人、客の気配がする。この中の何人が、あのおばさんの餌食になるのだろう。などと、バカなことを考えたりして…。

風呂に入った後、食事のために外出した。きょうも凄まじいばかりの食欲。朝はユースホステルで7時過ぎに食べてから、今までにもう5食もしてしまっている。にもかかわらず、まだ満腹ではない。寝るころになると、またおなかが鳴き出したが、我慢して寝た。

寒い…。

本日の走行距離: 130km
累計の走行距離: 2,722km
累計走行距離インジケータ

沖縄
(スタート)

東京
(中間点)

宗谷岬
(ゴール)
現在地
本日の出費 合計3,360円
ウインドブレーカー 1,600円
めし 380円
めし 400円
めし 380円
めし 400円
電話 100円
テレビ 100円

※金額は1981年当時の実際の金額です。

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