甲子園では、高校球児たちもこの真夏の炎天下を生き抜いている。苦しい思いをしているのは僕だけではない。
1981年8月9日(日)
-晴れ-
午前9時起床。つい寝過ぎてしまった。やっぱり昨日200キロも走った疲れが出ていたのかもしれない。その証拠に、きょうはやたらと身体がだるく、太ももが痛い。9時30分にチェックアウトして、きのうとはうってかわって良い天気になった青空の下、富山方面に向かってスタートした。
(写真はイメージです)
青空と言えばすがすがしいイメージがするものだが、真夏の場合は、ただクソ暑いだけである。太陽の光が強すぎて、青空というよりむしろ白く感じる。空だけでなく、周りがみんな真っ白。まるで、露光オーバーの写真のようだ。僕はだんだん晴れの日が嫌いになってきた。もちろん雨の日も好きではないが、不思議に、長距離を走った日というのは、雨の日が多い。たぶん気温が低くて走りやすいのだろう。晴れるととにかく暑くて嫌なのだ。
喫茶店に入って、少し身体を冷やした。朝食がまだだったので、モーニングサービスを注文。モチロンこんなもので足りるわけがないが、暑くてなんにも食べる気がしない。あっさりしたものしか口に入らないのである。腹はへってるんだけど食べられない。
富山市内に入った。避けて通りたかった市街地にまた入ってしまった。市街地は嫌いなのである。車が多い。排気ガスが臭い。ただでさえ暑いのにそれ以上に暑い。市街地は田舎とゼンゼン温度が違うようだ。信号は多くてことごとく赤にひっかかる(それは僕の運が悪いだけかも…)。道がわからない。…ああ嫌だ。
遠くに立山連峰が見える。今まで、どこへ行ってもたいして変わり映えのしない風景ばかりだと思っていた。もちろんそれはほとんど国道ばかり走っていたせいもあったが、さすがに3千メートル級の山々は、西日本にはないので、僕の目には新鮮に映った。
暑い日は、自働販売機を見るたび止まって、ついついジュースばかりを買ってしまう。日本縦断に出発した当時は、ボトルに水を入れて、その水をよく飲んでいたが、どうしても味のついた物が欲しくなり、ボトルはほとんど飾りのようなものになってしまっていた。(本日の出費の欄を見ていただければわかると思うが、ほとんどジュースと缶コーヒーばかりだ)
またこのころ、ポカ●スエットを初めて飲んだ。前年の1980年に初めて発売された、スポーツドリンクの草分け的な清涼飲料水だ。当時はまだ日本でスポーツドリンクの類いはほとんど販売されていなかったので、アルカリイオン飲料というキャッチフレーズとともに出現したこの飲み物は、当時としては異色な存在だった。他のほとんどの250ml入り缶ジュースが自動販売機で100円で売られていたのに対し、このポカリス●ットは当時120円だった。
問題はその味だ。
「う゛えぇ~~~~っ!!なんだこれは!不味すぎるにもほどがある」
会社の先輩が粉末タイプを溶かしていつも愛飲していたので、どんなものか試しに飲んでみようと思ったのだが、他のジュースより20円も多く出して買ったことをすごく後悔した。思わず缶コーヒーを追加で買って口直しをしたぐらいだ。(でも、この当時あまりにもその味の評判が悪すぎたためか、メーカーである●塚製薬もその後改良に改良を重ね、かなり飲みやすい味になっていった)
新潟県との県境付近から海岸沿いの道を走った。道路は海岸よりずいぶん高い崖の上にあって、アップダウンを繰り返し、自転車で走るには少々厄介な道だ。しかし、もし車で走るなら美しい景色を眺めながら快適なドライブを楽しめるだろう。
しばらく走って、また喫茶店で休憩した。最近、休んでばかりだ。暑いのとアップダウンの繰り返しで走るのが苦痛なため、すぐ休んでしまう。
テレビで高校野球をしていた。そういえば僕が炎天下を走っている間に、高校球児たちは、甲子園で熱い戦いを繰り広げていたのである。おや?いま試合をしているのは、なんと、徳島商業高校だ。こんなところで、郷土の人間をテレビで見るとは思わなかった。1時間ぐらいずっと見ていた。1対1の同点のまま、両校とも追加点が入らず、とうとう延長戦になった。これ以上ここで見てても仕方がないので、店を出た。バッグの中からラジオを取り出して、ポケットに入れ、イヤホンで試合の模様を聞きながら走った。
糸魚川市。ビジネスホテルを探し回る。が、見つからない。仕方なく、もう少し走ることにする。2、3軒、民宿を見つけたが、いずれも断られてしまい、途方に暮れる。ああ~どこでもいいから、早く泊まって疲れた身体を癒したい。
太陽も沈んで、だんだん暗くなってきたころ、今度はパンク。泣けてくる。タイヤをはずして、チューブを取り出し、穴の開いた場所を探す。しかし見つからない。小さな穴だとなかなか発見できないものだ。おまけに徐々に暗くなってきているので、余計わからない。パンク修理セットの入れ物のフタに水を入れ、そこにチューブを浸けてみる。ようやく、小さな泡の出ているところを発見できた。時刻は午後6時半。さらに、落ち込んでいる気持ちに追い討ちをかけるように、僕の耳に差したラジオのイヤホンが、徳島商業高校の敗戦を報じた。
パンク修理も終わり、気を取り直して、もう一度糸魚川市街まで引き返すことにした。これ以上山に入っていったら、もうホテルも旅館もなくなって、野宿するしかなくなると思ったからだ。
今度はもうちょっと気合いを入れて探した。駅前にビジネスホテル発見。
豆壱郎:「すいません。空いてますか?」
フロント:「ちょっと待ってください、え~と…。ああ、一部屋だけ空いてますねえ。どうぞ。あ、自転車ですか?そこの隅っこに置いといて下さい」
よかった。これでホッと一安心。
このビジネスホテルは、1階が有料駐車場になっていて、2階より上がホテルの客室になっている。自転車を言われるままに隅に置き、再び受付に行く。
フロント:「どこから来られました?」
豆壱郎:「徳島です」
フロント:「徳島?あ、じゃあ今、高校野球出てた徳島商業の…。あ~、そう~?負けちゃったねえ。残念だったねえ」
豆壱郎:「そうなんですよ。僕もさっきまでずっとラジオ聞いてたんだけど、ガックリしちゃって」
狭い階段を登って、自分の部屋にたどり着くと、疲れがどっと出た。時刻は午後7時。荷物を置いて、夕食のために外に出た。
洗濯はいつも風呂の残り湯ですることにしている。例えば、ユースホステルに泊まった場合、洗濯機を置いてあるところは結構多いが、たいてい誰かが使っているし、洗濯物を干す場所もあまりない。ビジネスホテルなら、いつ洗濯しようが、部屋中に干そうが勝手である。もちろん、この自由さと引き換えに寂しさもある。ユースホステルのように、旅人同士のコミュニケーション、ゲームといった楽しみはない。一人ポツンとベッドに横たわると、思わずため息が出るときもある。
こんな毎日でいいのだろうか。昼間、働いている人を見るたびに、みんな一所懸命仕事をしているのに、自分だけ1ヶ月ものあいだ遊び歩いてどうするんだ、と思ってしまう。もちろん、遊び歩いているわけではないし、楽でもない。決して楽しみながら旅を続けているわけではなく、仕事をしているときの何倍も苦しい毎日ではあるが、やっぱり罪悪感を感じてしまう。会社では、僕のいないぶん誰かが穴埋めをしなければならない。申し訳ないと思う。もうずいぶん家は遠くなってしまった。帰るに帰れない距離である。数々の大きな代償を支払って、この旅に出ているのだ。日本縦断にそれほどの価値があるかどうかはわからないが、途中で投げ出すということは、その代償をすべて無駄にするということなのである。やはり、最後までわがままを通させていだだくしかないようだ。