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Route-9 帰宅翌日

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帰宅翌日。

1981年8月26日(水)

昨夜は、久しぶりに我が家の自分の布団の中で、このひと月の出来事を回想しながら、今までの溜まりに溜まった疲れをまとめて癒すかのごとく深い眠りをむさぼった。おかげで、目が覚めたのは果てしなくお昼に近い時間帯であった。

さすがに、ひと月の長旅を終えた翌日、いきなり会社へ8時半の定時出勤は身体が拒否したので、きょう一日疲れ休みを頂くことにした。しかし、北海道旭川で買ったお土産を配るため、結局会社へ行くことになる。

会社に着いたらすぐ各部署にお土産を持って回り(と言ってもたかが20数人の小さな会社で、そんな大げさなものでもなく、4つの部署と社長とで計5個を配っただけだが)、帰ってきたことの報告をした。すると、ある部署のおばちゃんが、
おばちゃん:「あらまあ、帰ってきたのね。ずいぶんと真っ黒になって…」
と言ったので、
豆壱郎:「そうだね。道中3回ぐらい皮がむけたよ。ほら」
と言って、腕をまくって日焼けしてない肩の部分の白いところを見せてあげたら、
おばちゃん:「あははは。ほんとに日焼けで黒いのね。あたしゃまた汚れて黒いのかと思ったわ」
豆壱郎:「失礼な!」

さてその後、僕の部署に戻って、仕事中にもかかわらず旅の話に花が咲いた。
ところで、ずっと気になっていたことがあるのだ。それは、いまから4日前のことである。僕が宗谷岬に到着して日本縦断を達成したとき、日本最北端の電話ボックスから会社に電話をした。そのとき先輩が「そこの電話番号わかる?」と聞いてきたことだ。なにか大事な用事があったのだろうか…と、気になったのだが、そのときはあまりに早く電話が切れてしまったので、続きを聞くことが出来なかったのである。
豆壱郎:「あの時何を言いたかったの?」
先輩:「ああ、なんでもないよ。ただ、あんなに遠いところからだと電話代がたくさんいると思ったんで、こっちからかけ直そうと思っただけさ」
豆壱郎:「え~?な~~んだっ!」
気にして損した!

そのあと、今回の日本縦断に出かけるにあたって、自転車関係で大変お世話になったサイクルショップ・Nさんのところにも挨拶に行った。
Nさん:「おお、無事帰ってきたんか」
豆壱郎:「やっぱりミニベロでは無理がありましたね。ロードに乗り換えたらずいぶん楽になりましたよ。あ、これお土産。皆さんで食べてください」
と、買ってきたクッキーを渡した。そして、ここでもしばらく旅のエピソードを話して時間を過ごした。

なんだか身体がおかしい。

ところで、出発前と帰ってきてからの体重を比較してみた。出発前51kg→帰宅後48kg。約3kg減であった。後半は食事の回数も増えて、結構食べたほうだが、やっぱり運動量のほうが多かったようだ。

しかしそれよりも、帰ってきてから僕のからだにある異変が起きていることに気がついた。
それは…
暑さに対しての忍耐力が落ちているということだ。僕は、痩せているということもあり、夏の暑いのと冬の寒いのとどちらが我慢できるか?と訊かれたら迷わず夏と答える。いや、答えていた。冬の寒いのはガリガリ体型にとっては骨身にしみる。夏は少々の暑さは耐えられるほうだったし、汗もさほどかかなかった。
ところが…
日本縦断から帰ってきてからというもの、なんか気がつけばクーラーに張り付いている。どうしたのだろう。普通なら真夏の炎天下を自転車で何日も走ったのだから、鍛えられて、逆に暑さに対して強くなっているはずだ。しかしどうしたことか暑さが我慢できなくなっている。
なぜだ…?
未だにその理由はわからずじまいであるが、もう暑さを我慢しなくてもいいんだという安心感というか、緊張の糸が切れたというか、帰ってきた瞬間身体がワガママになったのかもしれない。

さてともかく、僕にとっての大イベント、日本縦断は終わった。もちろん大きな目的を達成した後の燃えカス状態も無くはない。長年の夢が叶ってしまうと、なにか心にポッカリと穴が開いてしまうものだ。しかし僕の場合、正直、精根尽き果てたという感じなのだ。もう走らなくてもいいんだという気持ちの方が大きい。自転車もそろそろ卒業してもいいかなーなどと考えていた。

し・か・し…

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」

翌年(1982年)、また僕は自転車で別の挑戦をすることになる。
(次ページ「編集後記」の次のページにつづく…)

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