自転車日本縦断 広い日本そんなにゆっくりどこへ行く。

Route-6 東北③

HOME > Route-6 東北> 1981年8月17日

一度出会った旅人に、違うところで偶然再会することが何度かあった。

981年8月17日(月)
-晴れ時々くもり-

中部地方の地図は、もうすでにお役御免となっているのに、このままいつまでも持ち続けていてもしかたがない。東京で買った雑誌といっしょに家に送り返すことにした。昨日そのつもりで文具店に入って、角型2号ぐらいの大きさの封筒はないかと訊ねたら、
文具店のご主人:「何枚いりますか?」
豆壱郎:「1枚でいいんですけど」
文具店のご主人:「じゃあ、これを差し上げます」
と言って、『○研』などと社名や住所の入っているグレーの封筒をくれた。
豆壱郎:「すいません。頂きます」
こんないきさつで、タダでもらった封筒に、地図と雑誌を入れた。ホテルのフロントでテープをもらって止めて、ついでに郵便局の場所を教えてもらった。

郵便局に着いた。中に入り、封筒の重さを量ってもらったら、
局員:「あーー、こりゃ重いわ。1kg超えてる。料金が高くつくよ。これ、中身は何なの?」
豆壱郎:「本です。本が2冊」
局員:「それじゃあ書籍小包にしたら?上に切り込み入れるけど、ずいぶん安くなるよ」
豆壱郎:「じゃ、そうします」
余談になるが、ここの局員さん、僕と話しているときは標準語なのに、奥へ行って局員同士で話している言葉は、僕にはまったく理解できなかった。まるで外国にでも来ているみたいだ。さすがは聞きしに勝る東北弁。

フトコロもだんだん寒くなってきたことだし、ついでにここで郵便貯金を10万円ほどおろすことにした。旅行中、旅費を全額持参するのはちょと不用心なので、予定の半分ぐらいを、全国どこにでもある郵便局に貯金しておいた。足りなくなれば郵便局に飛び込めばいいと思っていた。

出発してからというもの、お金をできるだけ節約しよう…などとはまったく考えてなくて、まるで湯水のごとく使ってきたので、終わったあとで全費用を計算するのが怖い。もちろん出発前には、旅行中お金の心配をしなくていいように、余裕をもって郵便貯金に入れておいたが、ちょっと予定よりオーバーペースのようだ。そりゃそうだろう。計画段階では、ユースホステルや野宿を予定していたのに、実際はほとんどがビジネスホテルだ。また、最近は腹の減りが激しく、食費もかなりかかりつつある。お金に余裕がなく、節約旅行を余儀なくされている人には申し訳ないが、僕の場合、体力のない分をお金で補っているような気がする。野宿すれば体力が回復しない。腹が減ったらペダルを回せない。日本列島を完走するために、僕の肉体はお金の力を借りているのだ。

急がず焦らずゆっくりのんびり…。

用事で少し遅くなってしまったが、午前10時半、僕は横手市をあとにした。街中を通り過ぎたころ、きのう雄勝峠の入り口で出会ったキャンピング車のサイクリストに再会した。
サイクリスト:「やあ、こんにちは。また会いましたね」
しかし、やはり自転車や荷物の量が違いすぎてペースが合わないので、僕が先行する。六郷町というところの少し手前で、地図を開けて道を確認していると、さっきの彼が追いついた。

秋田地図

豆壱郎:「角館町に行きたいんだけど、ここから県道を走ったほうが近道だよね」
サイクリスト:「そうですね。僕もその道を通りたいんだけど、僕は遅いから先に行きますね。きっとすぐ追いつきますよ」
と言って、彼はすぐ走り出した。僕は、自動販売機で500mlのジュースを買ってしまったばかりなので、そんなにすぐには走り出せない。休憩してからゆっくり走り出す。六郷町からの県道の入り口がよくわからなくて、少し迷ったが、なんとか県道に入ることができた。しばらく走ると、道の横の公園に、いたいた、さっきのサイクリストが。

サイクリスト:「やあ、やっぱり追いつきましたね」
そりゃ追いつくだろう。君は止まってるんだから。
彼はベンチに腰掛け、携帯コンロを出して、お湯を沸かしている。
豆壱郎:「何してんの?」
サイクリスト:「昼メシのラーメンを作ろうと思って」
豆壱郎:「なにこれ、ベビーラーメン?? …これ、何個食べるの?」
サイクリスト:「ひとつですよ。あんまり腹へってるときは2個食べますがね」
豆壱郎:「えーーー?そんなんでよく身体がもつなあ。僕なんか最近1日に4食ぐらいしないと満足しないんだ。それも定食類ばかりでね」
サイクリスト:「慣れたらどおってことないですよ。あんまりお金持ってないんでね」
豆壱郎:「(グサッ!)」
サイクリスト:「もちろん腹はへりますけど、いかにして空腹をごまかしながら走るかが、旅費を安くあげる秘訣なんですよ。今、1日千円台で過ごしてます」
豆壱郎:「ひえーーーっ!すごい!ちなみに僕なんか1日6千円以上使ってる。ところで、どこから来たの?」
サイクリスト:「茨城です。いま大学3年なんですが、来年は就職活動があるし、もう今年が遊べる最後なんで、東北一周しようと思って…。あ、ラーメン食べますか?」
豆壱郎:「い、いや、いいよ。どうぞ、気にせずに食べて」

グーーー

じつは僕も腹がへってグーグーと音が鳴っていたのだが(ひょっとすると音が聞こえたのかもしれないが)、まさか、1日千円台で旅を続けている人の貴重な主食を取りあげることはさすがにできないので、遠慮した。

ずいぶんおしゃべりしたが、これ以上空腹に耐えられそうもないので、彼とはここでサヨナラすることにした。
角館町で食堂に入った。ここで食事をしている間に彼が追いついて、もう一度再会するかもしれないなあと思っていたが、その後、二度と出会うことはなかった。

 

また登りが続いた。本当に日本は山が多い(だからそれは豆壱郎の計画したコースが悪いんだってば)。左に見えるこの山の向こう側には、田沢湖がある。時間があれば、あるいは自転車日本縦断じゃなく車とか単なる観光旅行であれば行ってみたいところだが、今はそんな余裕はない。今までも数々の名所・観光地を横目でにらみながら通り過ぎてきた。

だんだん坂がきつくなってくる。トンネルがあるたび、ここが峠かと思ってしまうが、ことごとく裏切られる。まだまだ登りは続く。しかし、景色は美しい。それだけが救いだ。車なら一瞬で通り過ぎてしまうような風景も、自転車ならゆっくりと楽しむことができる。こんなきれいな景色を見ながら登っていくと、わずかながら苦しみも和らぐような気がする。

やっと到着した仙岩トンネル。ここを越えると岩手県だ。入り口に電話ボックスがあったので、久しぶりに会社に電話して、現在位置を知らせた。

仙岩トンネル前の電話ボックス
仙岩トンネル
(当時の写真ではありません)

このトンネルもずいぶん長い。県境のトンネルというのは、比較的長いのが多いように思われる。ようやく出口まで来た。眩しいほどの光を浴びて、パッと視界が開けると、待ちに待った爽快な下り。…と思いきや、あまり爽快でもない。たしかに下り坂ではあるけれど、舗装があまりよくなくて、ガタガタと腕に振動がくる(1981年当時の話です)。傾斜がある程度あるので、ブレーキはしっかり握っていなくてはならず、そのおかげでショックがモロだ。そして、この状態は結構長く続いた。舗装さえよければ、じつに気持ちのいいダウンヒルを楽しむことができただろうが、かえってこの長さが苦痛になった。前腕部及び上腕部が、長時間の振動によってかゆくなってきた。ハクロウ病みたいだ。今もし病院に行って医者に診てもらったとすると、
「チェーンソーかなんかを使ってらっしゃる林業関係のかたですか?」
と言われるかもしれない。(んなバカな…!)

雫石町に着いて、ようやく腕のかゆみから解放された。ここから1時間足らずで盛岡市に着いたが、また道に迷ってしまった。きょうは盛岡ユースホステルに予約の電話を入れてあるのに、場所がわからない。しかたなく、喫茶店に入った。コーヒーを飲みながら、お店のママさんに、
「高松の池へはどう行けばいいのですか?」
と訊ねた。(どうせ盛岡ユースホステルの場所を訊ねても知らないだろうから、ユースホステルのそばにある高松の池を訊いたほうが話が早いと思って)
すると、ママさんは親切に道を教えてくれた。

店を出て、ママさんの言う通りに走ってみると、全然違う方向に向かっていた。あれ?おっかしいな~。さんざん迷ったあげく、ようやく高松の池を発見。なんとか盛岡ユースホステルにたどり着くことができた。

やっぱりユースホステルはいろんな人が泊まっていて面白い。

ここは、テニスコートなどもあり、JYH(日本ユースホステル協会)直営のユースホステルだけあって、外観・内装共にユースホステルらしい、とても感じの良いところで気に入ってしまった。同室には、ユースホステルに泊まるのはきょうが生まれて初めてという函館から来た15歳の高校生と、僕よりふたつ年下のヤマハXJ400に乗っているライダー。3人でワイワイと話をしていると、あとからもうひとり、宿泊客が部屋に入ってきた。
宿泊客D:「えっと、ベッドはどこが空いてるんですか?」
豆壱郎:「いま3人しかいないから、ここと、ここと、ここ以外ならどこでもどうぞ」
宿泊客D:「それじゃあ、ん、と…。ここにしようかな。あの、…みなさんは3人同じグループですか?」
豆壱郎:「いんや、3人とも別々。いまここで知り合ったばかりですよ~」
宿泊客D:「あ、そうなんですか。いや、なんかずいぶん親しそうに話してたから、友だち同士かと思っちゃって」
そう。ユースホステルのいちばん良いところは、きのうまでまったく知らなかった他人同士が、きょう1日だけ十年来の友だちになれる。これこそが、ユースホステルで泊まることの最大の良いところである。

食事のあとはミーティング。24人のホステラー(宿泊者)全員が、順番に自己紹介と今回の旅行の報告をした。この中では、僕が最も長い旅行をしているようだ。僕に順番が回ってきて、自己紹介と旅の報告をしていると、なにしろ長旅なものだからコース説明だけでも話が長くなりすぎて、
「あ、長いから次の人。最後まで順番が回んなくなっちゃう」
と、司会をしているペアレント代行ヘルパーさん(管理人のお手伝いをするアルバイター)にチョン切られた。
ひととおり自己紹介が終わって、その後みんなでゲームをした。このとき、名物の「小岩井牛乳」を飲ませてくれた。これは、近くの小岩井農場でとれたものだ。味覚音痴の僕には、おいしいんだかまずいんだかよくわからない。函館の高校生が、
「これなら、北海道の牛乳のほうがもっとおいしいですよ」
と失礼な発言をした。あのねえ、空気読まなきゃ。そりゃ北海道の牛乳はたしかにおいしいのかもしれないけど、この場面ではとりあえず地元をヨイショするもんだよ。

本日の走行距離: 120km
累計の走行距離: 2,183km
累計走行距離インジケータ

沖縄
(スタート)

東京
(中間点)

宗谷岬
(ゴール)
現在地
本日の出費 合計3,970円
書籍小包 400円
ジュース 120円
めし 500円
コーヒー 250円
缶コーヒー 100円
電話 100円
ユースホステル 2,500円

※金額は1981年当時の実際の金額です。

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